期待と信頼
先週からなんとなく彼にイライラしていた私。とくに目立った理由もないのに、でも小さなことが積み重なると気持ちがくすぶってくる。例えば、猫のトイレの掃除をしていないとか、トイレットぺ-パ-が終わりかけているのに代えをつけてない、料理した後のフライパンがコンロにそのまま置きっぱなし、食べた後のお皿を台所にもっていったら、皿洗い機に入れずにさっさとテレビの前に座る。洗浄が終わったのにその中に汚い食器を入れてゆく。私の方が遅く帰っても、夕飯が出来ていなくて、彼はテレビを見ている等。えっまた?と思うけれど、文句を言いに行くほどではない(前にやったけど言いに行く回数が多すぎてかえって疲れた)。
でも今日はさすがにもうダメだわ-と思ったので、夕食後私は台所にたてこもることにした。怒りを込めてフライパンをがしがし洗い、明日のお弁当のおかずを仕込む。耳が暇なので、お気に入りの心理学の講座を流しながらお野菜を切っていった。心理学の先生が言っている「...あなたが疲れて帰ってきてご飯が出来ていないと、先に帰ってきただんなさんを責めちゃいますよね~どうしてご飯準備してくれてないの?って。」
なんか今の私にピッタリだ。このご飯が出来ているといいな、というのは期待なのだそうだ。期待はだいたい裏切られると相場が決まっていて、私は大体夕食ができていない場面に遭遇し、「えっ、頼まれてたっけ?」と無邪気に言う彼に、あなた喧嘩売ってる?とさらに腹を立てることになる。
でもちょっと冷静になると、次の質問が自分にできるようになる「果たして彼にそれができるんでしょうか?彼はそこまで気が利く人でしょうか?」うーん、むりかもしれない。でもたまに作ってくれていることもあるけど。期待が一方的な結果を相手に押し付けるのに比べ、信頼とは、まず相手のことを理解し、その上でどんな結果が出ても受け入れることであるそうだ。
つまりおうちのドアを開けて、テーブルの上に暖かい晩御飯が用意されていればラッキ-だし、でも出来てないかもしれない、さらに認めたくはないけれど、そっちの方がもっと可能性が高い、だってよくメニュ-考えるの疲れる、ってよく言ってるしなあ、じゃあ現実的になってBプランを考えておこう、近くのお惣菜屋さんでおかずをさっと買ってきてもいい、とする。そこまで考えておけば、家庭内のいらないもめごとも減る。
確かにそうだ、一方的に押し付けるのは良くない。わかっているのになんで怒ってしまうかというと、それはやっぱり疲れているし、さらにもっと深く掘り下げると、女性がご飯の用意をするもの、という観念が私の中にどっしりと座っているのに、思い当たった。ああ、あなたでしたか。
私の方がご飯を作らないといけないのに、朝出勤前に用意もしないで、さらに彼より遅く帰って来る。彼はそんなことみじんも思ってない(期待してない)から「お帰り~何晩御飯作るゥ~」とのんびり言ってくるのが、罪悪感をひしひし感じている私をほどよく刺激して「なんでそんなにのんきなのよ!なんで私を責めないのよ、責めてくれたら、怒りかえせるのに~」でイライラするのだ。これは私が悪かった、私が一人芝居していたんだ、ほんとうにごめんなさい。気が付いてよかった。
まあ、でも夕食時に雰囲気があやしくなるのは、やっぱりお腹が空いてるからだよね~というそもそもの問題に行き着く。こういうときにつまむものを用意しておけばいいのだ、という単純なことに気が付いた私は、それ以来チ-ズを買い、クルミやア-モンドを瓶に入れて保存するようになった。
ちょっと食事の支度に時間がかかる、でもお腹が...というときに、ワインかビ-ルを開けて、サラミとチ-ズを切り、ナッツ類と一緒に出しておけば、つまみながら料理ができる。こんなの1分とかからないもの。美味しいアペリティブで気分は良くなりワインで話も弾むので、さっきまでの機嫌の悪いのなんか、どっかへ行ってしまう。なんで先まで怒っていたんだっけ?
今日もお読みいただきありがとうございました。
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