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分身ロボットカフェDAWNに行った話


日本橋に、分身ロボットカフェなるものがあり、行ってみた。
それを経て考えたことをまとめたいなと思う。

コンセプトを引用すると以下の通り。

『分身ロボットカフェ DAWN ver.β』とは、株式会社オリィ研究所が運営する、2021年6月に東京・日本橋にオープンしたカフェです。
当カフェは外出困難者である従業員が分身ロボット『OriHime』&『OriHime-D』を遠隔操作しサービスを提供している新しいカフェです。
私たちはテクノロジーによって、人々の新しい社会参加の形の実現を目指しています。
ぜひ、少し先の未来を体験しに来てください!

引用にある通り、店舗にはロボットがたくさんいた。
お店に入るとすぐ「こんにちは~!ご予約ですか?」と案内してくれるロボット、
店内でお水を持ってきてくれるロボット(常に、手に、コップをセットできるお盆を持っていて、現場のスタッフさんがバックヤードでコップをセットしては、ロボットが運んでいる)、
専用の予約席にずっといる、お客さんの注文を受けたり30分間おしゃべりしてくれたりするロボット(首や腕は動くが、位置は各席に固定されている)。
稼働しているところは見られなかったが、コーヒーを淹れてくれるバリスタロボットもいた。

そのどのロボットにおいても、『中の人』(通称:OriHimeパイロット など)はその店内にいない。リアルタイムで、店の外から、在宅にて遠隔で仕事をしている。
外出困難な方や、場合によっては寝たきりの人まで、家にいながら仕事ができるのがこのカフェの大きな特徴だ。

このお店の付加価値とは

ちょうどこの日、別席で、いわゆる『中の人』が来店していらっしゃって、お客さんとして、その席のロボットとの会話を楽しんでいるようだった。
そのとき、自席で別のロボットとの会話を楽しんでいた自分が、
別席に現れた『中の人』に感じた感情は、「へぇ~」だったことに気づく。
よく飲食店で隣の人の会話をうっすら聞いては感じる、「あ~あそこの席の人、趣味が同じだなぁ~」と感じつつ、別に話しかけにはいかない、という感覚に似ている。
この日も、その人のもとへわざわざ行って、会話しよう、とは思わなかった。

この気持ちを突き詰めていくと、私が自席のロボットと会話を楽しんでいたのは、「そこにその人がいないから」だと気づく。
目の前にいないのに、遠くの都道府県にいるのに、初対面なのに、よそよそしくもリアルタイムで話せている楽しさ。
お店でたまたま出会った店員さんが、実はそこにはいない楽しさ。
そのイレギュラーな状況そのものが、楽しいのだと気づく。
だから、実際に来店していた『中の人』と話すのは、ちょっと違うのだと思う(話せたらそれはそれで楽しかったと思うけど)。
この体験は、自らSNSで友達をつくるような関係とも異なり、このお店でしか体感できない面白さだと思う。

お水だって、店内に実際にいるスタッフさんに持ってきてもらうこともできるし、そのほうがスムーズな場面もあるのだけど。
今ここにいない誰かが、場合によってはベッドの上から、ヒヤヒヤする操作でロボットを操作して持ってきてくれるから、楽しいし、面白い。ついついその動作を見守って、応援してしまう自分がいる。

これを、いわば蔑みのようにとらえる人もいるかもしれないけど、
現代の技術を使うことで、働けないはずの人が働けていることは、やっぱりすごいことだと思う。
このお店で感じるその感情が、いわばこのお店の付加価値なのかなと思う。

類似のお店について

派生して、似たようなお店(障害を接客に活かしたサービス)について思いを馳せたので、思いつく範囲で挙げてみる。
どれも、障害があることを強みとして活かしている素敵なサービスだなぁと思う。

注文をまちがえる料理店

キーワードは、「ま、いっか」。
認知症の方が接客することをポジティブにとらえたレストラン。


スターバックス コーヒー nonowa国立店

手話で接客するスタバ。


ダイアログ・イン・ザ・ダーク


目に障害がある方に案内してもらいながら、白杖をついて暗闇を探検する体験施設。


ダイアログ・イン・サイレンス


上記の、聴覚障害版。

障害のある人の働き方を考える

普段、社会でよく聞かれるのは、「障害があってもできる仕事は何か」という論調だと私は感じる。
障害のない人がする仕事を、障害がある人もこなすために、どんな配慮できるか。同時に、障害がある人が、障害のない人に近づくにはどうしたらいいか、どこを強化したら迷惑にならないか、という視点も、社会の根底にあるように感じる。

翻って、賛否両論あるかもしれないが、上記の施設は、障害をポジティブにとらえる価値観に気づかせてくれる施設だと思う。
障害とは往々にして、不便さやコストとしてとらえられてしまうけど、障害は、「何かが欠けている」という状態だけでなく、「無が存在する」ととらえることもできるのではないか。
音のない世界で行われる会話の面白さ。
見えないゴールに向かってボールを蹴るブラインドサッカーの熱狂。
それらは、障害がない人が行うものとは別物で、だからこそ面白いものだ。
障害者を雇おうとする現場においても、「障害があっても働いていいよ」という視点だけでなく、「障害があるからこそあなたにお願いしたい」というポジティブなオファーが増えたら素敵だな、と思う。

一方で、批判の的になりそうなことを言ってしまうと、一部の障害では、これを考えるとやはりちょっと難しいな、と思う部分もある。
気圧の変動によって勤怠が不安定な方にこそ任せたい仕事。
衝動的で怒鳴ってしまうことがある人にこそ任せたい仕事。
そんな仕事は、あるだろうか。私はまだ見つけられないな、と思う。
勤怠は安定していた方がいいだろうし、会社は、他の社員を傷つけない社員を雇いたいと思うものだと思う。
柔軟に思考を巡らせても、障害そのものを強みにすることが難しい場面もきっとある。
無理にポジティブにとらえずに、「有用ではないけど、あなたを雇いたい」と感じる感覚も、どこかで持ち続けなければいけないような気がしている。

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