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どうでもいいけど少し気になるどうでもいいこと
僕はそれなりに人とチャットをしている方である。
あくまで、それなりにで、ずっとというわけではない。
ずっととかいうと、常に人との連絡を求めてる感があるので、なんとなく違うという気持ちがある。
ひとりで考える時間もあっての、人との交流だと思っているからである。
ただ、通知というものは好きだ。
あの、画面が光るあれである。
画面が光った瞬間に、「おっ」とか一瞬思ってしまう。
日常に訪れる一瞬の変化とでも言えるだろうか。
通知には空気を変える力がある。
何の話と思うかもしれないが、何のことはない。
ただ通知が好きだという話をしているだけである。
ガラケー時代の名残なのだろうか、通知が来ているということにいまだにテンションが上がったりする。
誰からのメッセージなんだろうか、どんな内容だろうか。
通知の瞬間に、勝手に考え始めている。
決して意図しているわけではない。
どんな内容だろうかと考えようと思ってはいないのだ。
「勝手に」というところがポイントである。
どうか、そういうものなんだということにしてほしい。
正直、今のiPhoneは、誰からというのがわかってしまうので若干面白みに欠けるが、まあそれはそれでいい。
便利なので、一応許せる範囲内。
許せはするが、ガラケーの方が面白みはあった。
僕が持っていたガラケーは、少し光っては、しばらく光りもせずに、もう一度また光るということを繰り返して通知を教えてくれるものだった。
一般的なガラケーはそういうものだろうか。
違うタイプのものがあるなら聞いてみたい。
iPhoneのようにメッセージが来た瞬間だけ光るものではないので、放置しておいても、今メッセージが来ているのかどうかわかる。
さて、僕には通知を見る作法のようなものがあった。
まず、遠くから見る。
電気は暗い方がいい。
たしか2,3回くらい光るのを見届けていた。
そして、その後部屋の電気をつけて、ゆっくりと近づき、携帯を手に取る。もう一度光ったのを確認してから、携帯を開く。
分かっていないわけではない。別に光を見ても何も変わらないことは。
でも、それだと違う。
あの、なんというかたまたま目に入って、あれ、もしかしたら見間違えた?みたいなことを楽しんでいる。
いやでも光っていたはずと、次を待ち望んでしまう感じ。
いわば、流れ星みたいなものだ。
今日は流れ星が見えますよって言われたら、空を眺めて来るのをじっと待つだろう。
いつ来るかは分からない。本当に来るかもわからない。
分からないのに目が離せない。
いや、分からないから目を離せないのか。
分かっていたら、その時だけ見ればいいわけだから。
そんな不安定な状態の時こそ、人は集中力が高まっている。
逃したくないという意思が、逃さないための集中力に変わる。
考えてみて欲しい。
「次は3分後に来ますと言われた電車」と「いつかは分かりませんが来るには来ますと言われた電車」
どちらの方が逃したくないだろうか。
通知に決まった日時は存在しない。
今来ているものを見逃したら、次はいつなのか分からない。
1分後かもしれないし、10時間後かもしれない。
それを楽しもうと思ったら、逃すまいという集中力が必要なのだ。
いつ来るかは分からないから面白い。
定期的に来るものなんぞ、そのうち来ること自体に飽きてしまうおそれもある。
不安定とは、人の意識をそこに集中させるカギである。
安定は、目を離せるから、安定だ。
楽しむために安定を手放してみることは、普段感じえない刺激を受けることに繋がるだろう。
まあ、とは言っても、不安定なものばかりに囲まれすぎて、
あっちこっちに意識が飛ぶと、何を見ていいかわからずに、
ただの無になってしまう。
処理できる情報量はおおむね決まっているだろうから。
そう考えれば、
いつ光るかなと、通知を見ているくらいが丁度いいのかもしれない。
簡易的な不安定を楽しむための、ガラケーの通知の見方というところであろうか。
通知が好きな身としては、そんなガイドを読んでみるのも悪くない。
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