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偽善の先

2019/05/06
高校の英語の授業中に、ひどく心を動かされたことがあってそのことを黒柳徹子のインスタ投稿を見て思い出した。久しぶりにこんな気持ちになったので書き留めようと思う。

肝心な授業内容がまるで思い出せないのだけど、宗教の違いによって迫害された当時の記録を英語で読むようなものだったと思う。宗教も、迫害も、差別も自分には縁遠い言葉ばかりで何でなの?という薄い感情しかわいてこなかったのだけど、授業が回を重ねるうち何でなの?という気持ちが憤りに変わって、出来る限り起きた事実を吸収したいという気持ちになっていった。

ヘレンケラーだとかアンネの日記だとか、そういう献身的な歴史人の話を知ると白々しいというかただの偽善者じゃないのと冷めた気持ちになってしまう自分がいて。でも、この時代の日本に生まれたのは偶然であって、内戦の絶えないどこかの村に生まれていたかもしれない。そう思って、授業で流れた資料映像に映る目の大きな痩せた子供たちを食い入るように見つめていた。少し泣いたりもした。

自分でもびっくりするほどに引き込まれて、宗教をもっと知ってみたいと心に決めて大学へ進学した。大学では数ある宗教の起源であるキリスト教を中心に学んでいった。あたしが宗教の知識を得たところで世界で起きている内戦や貧困が解消されるわけではないのだけど、でも意味のあることだけ選択する人生って楽しいの。

黒柳徹子ってユニセフ親善大使になって35年経つらしい。自身も戦争を経験しているとはいえ、平和な日本に住みながら世界のニュースにすらならない地域に訪ねて行ったり思いを馳せ続けることは並大抵なことではないなと想像する。偽善じゃない、本当の救いで本当の愛なのかもしれない。

明日、ユニセフに募金しようと思う。気が向いた時だけ、こんな風にしか気にかけないなんてあたしはやっぱり偽善者なのかもしれない。

#おやすみゆめであえたら
#エッセイ
#授業

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