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味の濃すぎないラーメン屋を見付けた話

長いこと続く物価高のせいもあって、何もかもが値上げ傾向にある。そして一度上がった価格は、余程のことがない限り元には戻らない。鳥インフルエンザ騒動が終わっても、卵は以前より高いような気がする。

そんな世の中で本当に高くなったと特に感じるのはラーメンだ。

まだ私が学生の頃に、とあるラーメン屋のメニューに「チャーシュー麺1000円」とあった。いくらチャーシューが山盛りであっても、1000円は高すぎるだろう!と驚いたものだ。

それが今ではどうだろう。ラーメン並盛1000円なんて当たり前、全部乗せなんて頼もう日には1500円出しても足りなさそうだ。ラーメン一杯ワンコインが当たり前な福岡県、特に久留米なんかでは暴動が起きるのではないだろうか(今がどんな状況か知らないが…)。

少なくとも都内では大体1000円くらいが相場になっている印象であり、昔ながらの大衆向けな雰囲気の店であれば750〜800円スタート、最近流行りの高級志向なしつらえの店だと1200なければ店に入れないということも少なくない。つまり今、余裕をもってラーメン屋へ入りたくば、予算として1500円くらいは握っておく必要があるということだ。1500円あれば、そこそこのとんかつが食べられるし、その辺の定食屋で1000円払えばお釣りが来る。ナンなら寿司屋のランチも1000円くらいで展開しているではないか。

いつしか庶民の味から高級食へと姿を変えつつあるラーメン。そんなラーメンを私は半月に一度くらいのペースで食べに行く。店のテイストや値段のことを考えず、目についた店に入ってみる所謂一見さんというやつをやってみているのだ。何しろラーメン屋は歯医者と同じくらい目にするし、少し気を抜くとすぐ新しい店ができる。

そんなユルい(財布にはユルくない)ラーメン屋巡りであるが、直近三回くらいは敗北に終わっている。その何れもが1000円スタートの店であり、「ドコソコ産のナニガシ」を「ナン種類どうこう」して、「ウン時間煮込んだ」とかの説明が掲出してある系の、比較的新しい店である。

では具体的にどう敗北だったかと言えば、私にとってはどのラーメンも塩っぱすぎたのだ。食べ終わってから喉が渇いて仕方ないものから、二杯目の水を飲み干しても食べ切れないものまであったが、兎に角どれもしおけが強かった。

ラーメンというのは元々塩分が問題視されており、オジサンが頻繁に食べるべきものではない。食べてはならない、と然るべき機関からの通告を受けているオジサンも少なくはないだろう。

幸いにも私はそういった点での心配事とは縁がないものの、スープを飲み干すようなことは殆どない。どんなに美味しく感じても、丼の底は拝まないよう心掛けている。

ところが三度の敗北では底を拝むどころか、スープを啜ること自体が憚られた。こうなってくるともう味がどうとかダシが何だとか言っていられない。しょっぱいという感想以外が浮かばずに店を去るという苦い経験(しょっぱいのに)を繰り返していた。

そして今日。

また何となくフラリと会社を出て、昼食時のオフィス街を散策し、とあるラーメン屋へと吸い込まれた。店先に踊る「カレーラーメン」の文字に抗えなかったのだ。

遡ること30余年。夏休みには毎年のように、母の実家の石川県で海水浴を楽しんでいた。今はもうない「海の家」で食べたカレーラーメンは衝撃的だった。それほど美味しいわけではない醤油ラーメンに、恐らくレトルトのカレーが載っているだけのシロモノだったが、その組み合わせは人類の叡知の結晶であるかのように感じられたものだった。

今でこそラーメンにカレーが載っただけ系カレーラーメンには惹かれなくなったものの、「カレーラーメン」というフレーズ自体が私にとってのダイソンである。

本日訪れた店はきちんと最初からカレーラーメン用のスープを作っている店であり、値段はそこそこするものの、麺の量が選べたり唐辛子を使い放題だったり嬉しいサービスが揃っている。スタッフの対応も丁寧だし、良すぎない程度(重要)に元気が良く、紙エプロンのサイズが大きめなのも有難い。

味玉付きカレーラーメン中盛1200円

そして肝心のラーメンはと言うと、まずメンマとネギのボリュームが素晴らしい。麺の量もタップリであり、ドロリとしたスープから頭を出すくらいに盛られている。そしてスープはしょっぱくない。それどころか少し薄味に感じられるくらいであるが、これはもしかしたら麺の量が増えたせいで薄まってしまったのかも知れない。

だからと言って味気ないわけでは決してなく、根底にある魚介系のダシも、複数調合されていると思しきスパイスの風味も、全体を覆っている所謂カレー味もそれぞれ感じることができる。

カウンターに置かれた「特製唐辛子」を心行くまで降り掛けて、無心で麺を手繰っていると、気付けばスープだけになっていた。衝撃を受ける美味しさというわけではないものの、充分に美味しく食べられるし、水もまだまだ残っている。

ネギに潜む刻み茗荷と、トッピングで追加した味玉だけが全体の調和を乱していたように感じられたが、単に茗荷が苦手であることと、何となくで味玉を追加した私の落ち度である。

また行ってみようと思える店に巡り合えた幸福を噛み締めて、私は店を後にした。

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