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子供の中に流れる時間

2歳の我が子はYouTubeを観るのが好きだ。しかし動画なら何でも良いわけではなくて、その時その時で本人なりに見たいものが決まっている。更に近頃はテレビを点けてホーム画面に遷移し、YouTubeを立ち上げるという手順を何となく学んでいるようであり、これを阻止するにはリモコンを隠すより他ないというような状況である。

逼迫した状況のように書いているが別にそんなこともなく、観るのを辞めるように促せば多少の抵抗はするものの、素直に従うことも多い。そうでない場合は強制的に消してしまうが、余程機嫌の悪い時でなければ少しグズるくらいで切り替えられるようになってきた。良くも悪くも子供の成長は早い

そんな我が子が一体どんな動画を観たがっているのか。

Bruno Mars - 24K Magic

最近のお気に入りはこちらだ。

現時点ではBruno Marsが発表したソロ曲の中では最新のもので、去年の中頃から子供の中では徐々に火が付いたようだ。理由は不明である。

この動画を観たい場合には「ぶぅーの(Bruno)、みう(見る)!」と言ってリモコンを手渡してくる。また、以下の動画を観たい場合には「ぶぅーの(Bruno)、くぅま(車)の、やつ!」と要求してくる。

日本語ですら殆ど理解できない我が子にとって、オーバーアクション気味に喋る外国人の姿は、静かに喋る日本人の姿を眺めるよりも楽しいのかも知れない。嬉しそうな顔で観ながら頻繁にニコニコしている。

子供が体感している時間とは

さてここからが本題だ(という程の内容でもないのだが)。

唐突ではあるが、誰しも子供と大人が感じる時間の差というものを考えたことがあるのではないだろうか。幼い頃には1日が非常に長く、1年ともなれば悠久の時であるかのように感じられた。しかし30年も生きれば、やろうと思ったことを何一つできないまま1日が終わり、今年こそはと決意した抱負など思い出す間もなく1年が過ぎ去る。漫然と生活することに慣れてしまうと、時の流れは信じられない勢いの濁流となってしまうのだ。

まだ2年しか生きていない我が子は上記の動画を観ることで、本人なりのリズム感で本人なりに振り付けを必死で真似し、そして同時に一生懸命歌おうとするのだ。そうやって練習を繰り返し、今や動画を再生していなくても歌って踊るようになった。
その歌と踊りは我々両親以外の人間には何だか全くわからないものだと思うが、我々には歌のどの部分を真似しているのかが比較的ハッキリとわかる。それを見ていると、冒頭の40秒程度を歌っているようなのだが、我が子が歌うと10秒足らずで終わってしまうのだ。

子供の歌なんてそんなものなのだろうが、これは子供の頭の中で感じている時間の流れを測る指標になるのかも知れないと思った。つまり我々が感じる時間よりも、2歳児の頭の中では4倍程度長く感じているのではないかということだ。
幼い頃に大人から「もうちょっとで着くよ」とか「少し待っていれば帰って来るよ」とかの言葉を掛けられても、「全然ちょっとじゃないではないか!」と思った人は多いのではないだろうか。体感の認識が4倍もあれば当然それだけ印象にズレが生じるし、4倍と言わず2倍程度であったとしても随分と違って感じるだろう。

結論

私自身も、子供が生まれてからの2年は信じられないくらい濃密なものであり、コロナ騒ぎで家にいる時間が長くなった今年はともかく、去年の頭などはもう何年も前のことのように感じられる。

特に結論めいたものなどないのだが、日々毎秒毎秒多くの情報を吸収し続けていれば、それだけ体感時間の密度は濃くなり、長く感じるものであろう。きっとそれだけ多くのことを学習し続けているのだろうから、それを我々は目を細めて見守るばかりである。

我が子の成長ほどに驚きと発見に満ちた体験を私は知らない。嫌なことも苦しいことも多く、何より全てが手探りでわからないことだらけである。しかしそれこそが子育てであり、人間を一人育てるというのはとんでもないことだと改めて思い知らされるものである。

サンキュー、ブルーノ。

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