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「一般スタッフがスタートの合図をする」 ジェイ・スレンダー氏はデルマー競馬場の全レースにおいて安定したスタートを切らせる達人です

この記事は PAULICK REPORT に許可を得てJim Charvat氏が2022年12月2日11:11に公開した‘The Crew Makes The Starter’: Jay Slender Brings Order To The Start Of Every Race At Del Marの記事を翻訳して掲載しています。

子供の頃、学校の校庭で2、3人の友達を並ばせて、「位置について、よーいドン!」と叫んで、大勢の子供たちの合間を縫って10ヤードから20ヤード先の架空のゴールまでバタバタ走るランナーを見ていた経験がない人はいるでしょうか。

ジェイ・スレンダー氏はそれを生業としていますが、扱う相手は、金属製のゲートの中に背筋を伸ばせるが身動きはできないところに閉じ込められた4頭から14頭という、とても神経質なサラブレッドです。

ジェイ・スレンダー氏はデルマー競馬場の公式スターターです。この秋は毎日8〜9回、馬に公平なスタートを切ってもらうための担当をしています。シンプルに言いますと、馬と騎手とスターターアシスタントの安全を守る責任者でもあります。トレヴァー・デンマン氏のおなじみのセリフ「And away they go」やラリー・コルムス氏の「And they're off」は、ジェイ・スレンダー氏がそう言ってスタートの合図を出すまでは、聞こえてこないのです。

スレンダーさんの1日は朝一、6時半から9時半までの調教の時間帯に、ゲート付近のスクーリングを監督することから始まります。

「悪い馬がいるからこそ、勉強になるんです。」とスレンダーさんは言います。「『スターターズリスト』というものを作ってていて、午後から暴れてしまう馬がいたら、リストにその馬の名前を追加し、レース事務局に連絡がいき、朝、ちゃんとスクーリングに戻ってくるまで、二度と走ることができないんだ。」「ほとんどの調教師は、ゲートで時間をかけて馬をリラックスさせるだけのセンスがありますが、中には少し頭の固い人もいます。騎手と馬にとって、できる限り安全な環境を作ることが重要な仕事なのです」。

そして彼は大忙しです。夏場は平均して、朝から50頭もの馬がゲートで練習を行います。しかし、スレンダーさんと彼のスタッフが最善を尽くしても、いつも1頭だけ入らない馬がいます。必要であれば、スレンダーさんは必要であれば、レース前に行儀の悪い馬の名前をレースから抹消します。

「他のみんなに対して不公平ですからね。」と彼は説明します。「私は十分な時間を与えて、いろんなことを試せるようにしています。前の扉を開けて、アームをロックして、馬を押し込みます。最近、5人がかりになって対応が必要だった馬がいました。その馬は後ろ脚を蹴り上げ、しかし、ラバのように前脚をしっかり土に固定していました。その馬は1番人気だったので、私は登録を抹消したくありませんでした。抹消ぎりぎりまでいきましたが、なんとか入り、そして、その馬はどこにも逃げませんでした。

スレンダーさんは、「調教師がスクーリングをすれば、ゲートでその効果が発揮されます。」と語ります。「そうすれば、馬はただ立ってリラックスし、レースに向けてすべてのエネルギーをセーブしておくことができます。馬は人間と同じで、みんな1頭1頭違います。冷静な馬もいれば、お行儀が悪い馬もいます。私たちはただ、馬と仲良くなるように努めるだけです」。

スクーリングが終わると、スレンダーさんはその日の最初のレース、夏の大会では午後2時、秋の大会では12時半まで休憩を取ります。その間、ちょっと別の仕事をしたり、サーフィンに行ったりすることもあるそうです。

「サーフィンは好きだけど、ビーチではお金が稼げないからね。」とスレンダーさんは冗談を言います。「レースが終わると、私は競馬場から離れるようにしているよ。頭をリセットさせようと思ってね。」

スレンダーさんの毎日の準備には、一つ一つのレースを確認し、レースごとにスタートのゲートにいるスタッフへ仕事割り当て表を作成するという、トラックプログラムと呼ばれる仕事も含まれています。

「馬1頭につき1人(アシスタントスターター)がいるんだ。」とスレンダーさんは説明します。「スタートしない馬もいるから、そんな時はアシスタントが正面の扉を開けてくれる。怯えている馬もいるから、扉が開くのを見れば、進み出てくれるかもしれない。あとは、レースなんて全くやりたくない馬もいるから、そういう時は何人か増員して、アームをロックして、文字通り馬を抱き上げて押し込むこともあるんだ。」

各レース前、馬がゲートに到着する前に、スレンダーさんはトラックプログラムを見ながら、「カールさんは1番、ケリーさんは2番、キールさんは3番、ジェシーさんは4番、ジョンボーイさんは5番、エディさんは6番」と叫び、各馬にスターター補佐をつけます。青緑色のデルマー競馬場スタッフ用のシャツと黒の防護ベストを身に纏ったスタッフは、パドックから各馬が近づいてくるまでゲートで待機し、馬をゲートへと誘導します。

「パズルのようなものだよ。」とスレンダーさんは言います。「他のスタッフより少し強いスタッフもいるから、もし悪い馬がいたとして、その馬に一番弱いアシスタントを配備するというような組み合わせにはしないだろう。どんな仕事でもそうだけど、他の人より少し自信がある強い人がいるものだろう。」

ゲート内に入ると、アシスタントスターターは各仕切りの側面にある薄い金属の台に立ちます。2、3インチ(約5センチ〜8センチ)ほどの台に乗ったら、左手で仕切りの側面にある取っ手につかまり、右手では、いつも言うことを聞いてくれるわけではない、1000ポンド(約450キロ)もの重さもある動物をつかんで、ゲートが開くのを待ちます。

スレンダーさんは、「あのゲートには、馬と彼らのためのスペースがあまりないんだ。」と指摘します。「最初にヘルメットが提案されたとき、私たちは反対したんだけど、ヘルメット着用が功を奏したんだ。頭の上部や、ベストを蹴られたりすることもありますから。」とスレンダーさんは指摘します。

しかし、危険な仕事であっても、スレンダーさんのゲートスタッフは、スレンダーさんが1991年にロスアラミトス競馬場で初めて仕事をしたときから、ずっと一緒に仕事をしてきたメンバーです。

スレンダーさんは言います。「ここは私の第二の家族みたいなものです。みんながお互いを支え合っているんです。ゲートで何かあったら、彼らは闘牛士のように安全なんて忘れてしまうんだ。飛び込んでいって、スタッフや騎手、そして馬を引っ張り出す。体を張ることも多いんだ。」

スレンダーさんは「スタートを作るのはスタッフだよ。」と言います。「良いスタッフがいなければ、何もできない。先日、スタッフの足に馬の蹄鉄があたってしまい、レース後、足を引きずっていたよ。他の仕事だったら、その人は就業不能で欠勤しているだろうが、次のレースには復帰していたよ。」

馬がゲートに入ってくる間、スレンダーさんはゲート2、3メートル前をレールに沿って立ち、馬が走る準備をするのを見守りながら観察しています。スターターボタンを押す前に、ジェイ・スレンダー氏は何を見ているのでしょうか?

「主に馬の頭、そして蹄を見ているよ。少しそわそわしている馬もいて、少し緊張しているのだろう。重要なのは、最後の馬の走る準備が整うまで、馬をリラックスさせておくこと。最後の1頭が入ってくるとき、馬がみんな前を見ているか、走る先を見ているかを確認しているよ。」

「馬たちは気の短いところがあるので。」とスレンダーさんは続けて言います。「あまり長い時間ゲートに入れておかないようにしているから、動きを見ている。動きを見るのが一番重要だ。」

時には、アシスタントスターターが「だめ、だめ、だめ、だめ」と短く歯切れの良い掛け声でスレンダーさんに待つように指示することもあります。騎手もそう掛け声をあげることもあります。

「ジョッキーは違和感を感じると声をあげるんだ。」 とスレンダーさんは言います。「彼らは馬の動きを感じることができるんだ。」

スレンダーさんがスタート時に設定している基準がすべて満たされ、馬の配置に満足したら、ピストルグリップのような装置を押します。これは、ゲートの扉にある磁石に流れる電気を遮断するものです。この磁石によって、扉は閉じたままになっているのです。扉の磁力が消磁されると、ゲートの扉が一気に開くのです。

スレンダーさんは続けます。「すべてのレースが一瞬の出来事で、それがこの仕事のいいところだ。」「スタートがうまくいっても、すぐに次のレースの準備をしなければならない。気合いを入れてテンション高く取り組む必要がある。集中力と反射神経がとても大切だ。そして皆の話を聞くことが大事だ。プレッシャーに耐えることを学び、すべてがうまくいかないときには、調教師たちと向き合わなければならないんだ」。

では、デルマー競馬場のようなメジャーな競馬場でスターターになるにはどうしたらいいのでしょうか。学校に行って学ぶものでもなければ、そうそう募集があるものでもないです。スレンダー氏の場合は、父親の跡を継いだのです。

「祖父母は二人とも調教師でした。父はスターターのアシスタントとしてゲートで仕事をしていたんだ。私がアルカディアで育った頃は、毎年夏休みになると、トレーラーに荷物を積んで、競馬場から競馬場へ品評会のサーキットを回ったものだ。私はまだまだ子供だったよ。6歳から10歳くらいまでは、一日中ゲートで遊んでいたね。当時はゲートに乗って移動できたから、ゲートが引き回されるとそれに飛び乗っていたよ。」

「もう少し大きくなると、父がサンタアニタや他の競馬場でスターターの仕事をするようになったんだ。私は、競馬場の手入れをするようになったんだ。14歳か15歳のとき、レースが始まる前にゲートの後ろにいたら、親父が『5番に飛び込め。』と叫んだんだ。それで私はそこに飛び込んだ。シェリル・ホワイトという女性騎手がいて、彼女は父に『タック、彼、死んじゃうわよ。』と言ったんだ。」

それから47年、スレンダーさんは完璧に仕事をこなしています。この間、ゲート作業で怪我をしたこともありましたが。

「馬が暴れて、私は頭を打って、こめかみをぶつけたんだよ。」とスレンダーさんは言います。「私は気を失っていたが、無意識に手綱はまだ持っていた。ただ、気を失って星が見えていたのは覚えているよ。唇や足首、膝を怪我したこともあるよ。」

「馬の下敷きになって馬の腹を見上げたこともあった。」と スレンダーさんは続けます。「馬が後ずさりしたとき、私はゲートの扉の下を這って脱出したんだ。逃げ続ける方が良いのか確信が持てなかったから、またゲートの中に飛び込んだんだ。」

スレンダー氏は、高校に入学する頃には、競馬業界に進む気持ちは全くなく、違う何かを求めていました。

「アルカディアの僕の家では馬を飼っていて、毎朝毎晩、馬小屋の掃除をしなければならなかった。」とスレンダーさんは言います。「だから馬にはうんざりしていたんだ。野球をやったり、適当に過ごしたりしていたんだ。それから、高校を卒業すると、大学へ進学したよ。」

「パサデナ・シティ大学に6ヶ月ほど在籍していたけど、成績はあまりよくなかった。」と、スレンダーさんは振り返ります。父がロスアラミトス競馬場のスターターをやっていて、みんな怪我をして人手が足りなくなったから、ロスアラミトス競馬場へ来いと言われて、それ以来ずっと競馬場で働いているよ。」と述べています。

それは1978年のことでした。それ以来1991年までゲートで仕事をしていましたが、その後、ロスアラミトスで競馬場でスターターの仕事をすることになりました。

「父はサンタアニタ競馬場で働くためにロスアラミトス競馬場を離れたんだ。」とスレンダー氏は回想します。「ロスアラミトス競馬場ではスターターの仕事に何人か採用したり辞めていったりして、空きが出たのでドク・オールレッドさんが私に最初のチャンスをくれたんだ。」

その6年後にサンタアニタ競馬場での仕事を獲得し、2015年にはデルマー競馬場に移り、その才能を持ち込みました。現在62歳のスレンダー氏は、パティと結婚して29年になり、2人の娘(26歳と22歳、ともに大学生)がいます。彼はハンティントン・ビーチを自分のホームとしています。

「デルマー競馬場でレースがある間はここに滞在している。」とスレンダーさんは言います。「(ハンティントン・ビーチの家に)車で帰ることもあるけど、運転をすることが大変に感じるようになってきた。だから、ここに住んでいる義理の親戚の家に泊まったり、トレーラーで寝泊まりをしているんだ。」

スレンダーさんは、家から離れて暮らしている不便さにも関わらず、自分の仕事を愛し、その献身的な努力は報われてきました。ブリーダーズカップ、TVGパシフィッククラシック、『ビッグキャップ』の愛称で知られるサンタアニタパーク競馬場の名物G1サンタアニタハンデキャップなど、競馬の大きな祭典で活躍しています。

「ハリウッドパーク競馬場での第1回を含め、これまで8、9回ブリーダーズ・カップを担当させてもらった。」とスレンダーさんは言います。「配当金が8,000ドルのレースから600万ドルのレースまで、どのレースでも同じことをするように心がけている。とはいえ、ブリーダーズ・カップ・クラシックの前になると、心臓の鼓動が少し速くなるかもしれないね。」

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