不幸慣れした女

とある人は、私を「不幸慣れした女」と揶揄した。

私は平成まもない頃、大阪府の某市で生まれた。
家族は両親と自分の三人家族だった。兄弟はいなかった。
父親は製造業のサラリーマン、母は専業主婦という、一見どこにでもある普通の家庭のように見えるが、私の両親は毒親だった。

両親だけでなく、私自身もおかしかった。
自分に異変が起こりだしたのは中学二年生の頃。同級生との交友関係につまづき、コミュ障の私は教室の中で浮いていた。
気分は落ち込みがちになり、朝起き上がれず、死にたいと思い始めるようになった。
その頃の私には、鬱だの自律神経失調症だのという病気の知識もなければ自覚もなかった。
そんな鬱屈した日々を過ごしていたある日、100円ショップでカミソリを買ってきたことが不幸の始まりだった。

中学二年生で、リストカットを覚えた。
痛かった、もちろん痛かった。だが、切ったあとの何ともいえない開放感が癖になってしまった。
傷が増え、手首にガーゼや絆創膏を貼るようになり、同級生は私の異常行為を察知するが、誰も咎めることなくむしろどんどん引いていった。
教師も見て見ぬふりだった。親も我が子の手首が傷だらけなことに詰問することはなかった。

本当は誰かに気付いてほしくて、切っていたのかもしれない。
しかし現実はそんなに甘くないということを身を持って知ってしまった。

「誰も私のことなど気にとめない」

と知ったときから、誰かに理解されようという気持ちをやめた。
世間と心から馴染むことをやめた。

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