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ちゃんと、嫌です。 ダメです。 と言おう❤️

七夕ですね。私は、ジョージアの変な大きい石板が壊れたのを知って、清々しい気分でいます。あースッキリ、あーさっぱり、と風呂上がりのようなポジティブヴァイブをせっせと集合意識に供給し続けております。お時間とお心があれば、皆さんもどうぞご一緒に💖

さて、今日は、朝子さん(仮名)が、お友達からシェアしてもらった記事のシェアをさせて頂きます。以下、こちらの記事から👇

アート・バーゼル香港(*アートギャラリー名のようです)のタイのアーティストGongkanによる2022年5月の作品 “A Boy and Someone From Nowhere” (少年と、どこからでも無い誰か)について。
裸の少年の像の下腹部(非常に個人的な部分)に、唐突に現れている誰かの手が置かれています。少年の片手はコンピュータースクリーンのようなものに置かれ、もう一方の手は”インターネット”を表現しているかのような別の手に握られています。

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この作品は、幼い子供に向けられるオンライン上の性的な獲物としての目線や、“グルーミング“ を表現しているように見えます。


音楽家、芸術分野教育者、そして ”President's Challenge 2006“(政府関連のチャリティープロジェクト)を手掛けたアートディレクターであるプロのアーティストとしての意見を言わせてもらうと、これはアート自体の品位を下げるものです。この作品は、アートまたは現代美術その他無害なそれらしい名前に相応しくありませせん。
私は、幼い少年に触れている手が “芸術” で、それが(元記事にあるように) “素晴らしい splendid“とは思えません。
これは、この国シンガポールの「芸術」として後世に伝えるべきものでしょうか。これはむしろ児童ポルノや痴漢行為を一般化するようなものに私には見えます。

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私は、これが我が国の国際的アートエキシビジョンとして展示されることや、地元紙の一面に芸術作品として大々的に取り上げられることをよく思わない多くの親、教育者、市民たちと共にあります。


私たちは、子供たちと、この国で芸術とされるものの価値を保護しなければなりません。また、芸術という名目や他のどんな理由であっても、幼い罪のない子供たちを犠牲にしたり、子供の体を弄るような行為を私たちに目にさせて一般化しようとする性犯罪を許しません。
このエキシビジョンでは、ここに挙げた裸の男の子の“アートワーク”の背後にも、子供たちの裸が描かれた“アートワーク”が見えます。
我々は、子供たちの体に触れている「どこからでもない誰か」から子供たちを保護しなくてはなりません。

このエキシビジョンへの評価付けや、展示品についての政府の確認はなかったのか、またこのような“アート作品”が国内ニュースとして報道されることに対し、若く罪のない子供たちが危険にさらされることから守るためのチェック体制がなかったのかと疑問に思います。

芸術の影に犯罪を忍ばせることは許されません。最低限の守られるべきことです。

我々の若者を保護するために、この嘆願書に署名して、シェアしてください。 
(記事翻訳終わり)

アートってやったもん勝ちというか、多くが必死に名を成そうと、目立とうと、とんがったことをしようとしますよね。日本でも数年前のなんちゃらトリエンナーレ?とか、ちんぽん⤵️⤵️とか、ありましたね。
で、そういったものに対して、多くの一般人は「アートです」とされると、表現の自由とか云々で煙に巻かれ、そんなものかなとよく考えずに流したり、受け入れてしまったり。

予測プログラミング(←聞きなれない方は調べてみてください)っていうかさー、こういうのに見慣れちゃいけないと思うのよ。じょんぽですた所持の絵画趣味を彷彿させる気色の悪さ。私は、こういったものを見て、気持ち悪い、ヤメロ、って感じる自分を大事にするし、こんなものがアートとして受け入れられるのはどうなの?って思うよ。(朝子さん談)

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「譲歩なんてしても、悪くなってくばかりだよ」

「気付いて」「起きて」「行動しよう」