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自己否定がもたらす悪循環

 これまで論述してきた通り、心の問題は、その問題を抱えている本人にしか解決できません。しかし、ほとんどの人がそんなことできないと思っているし、やりたくないとも思っているのです。だから解決できないのです。
 自分でできない、やりたくないと思っているから、誰かに何とかしてもらおうとします。それを病気のように考えているので、誰かに治療してもらおうと思うのです。治療など不可能です。なぜならば、それは病気ではないからです。しかし、相談を受けた「専門家」は、自分の知っている方法で何らかを講じてくれるでしょう。カウンセリングとか、薬の処方などです。それで本人が満足すればいいし、満足しなければ来なくなるだけ、「専門家」は自分の責任と言うものを、その程度にしか考えていません。「専門家」は、心の問題は他人が責任を負えるものではないということを知っているということのみ、正しいのです。

 「自分でできない」ということが、そもそも自己否定です。できないと思っているから、何をしてもどうせ失敗すると信じ込んでいる、だからそんな失敗の苦痛を感じることがないように、始めから何もしようとしないのです。
 そしてできない自分に、劣等感を感じます。何もしない自分に罪悪感を抱きます。劣等感とは、誰かから蔑まれているように感じることです。罪悪感とは、誰からか責められているように感じるということです。したがって自分ではない外部の誰かに対しての不信と怒りを募らせることになります。外部の誰かが、自分に苦痛を与えていると信じ込みます。そうなるとなるべく外部との接触を断って自分の殻に閉じこもるか、無抵抗な誰かに罪をなすりつけて攻撃を仕掛けるかのどちらかという悪循環に陥るのです。その両方である例も少なくありません。

 そのうちに、それしかできなくなってしまうのです。まるで、それこそが自分自身であるかのように、自分の生きる目的、与えられた運命のように感じて、またそう信じることにして生きていくのです。もう何が問題であるのか考えることをやめてしまうのです。その方が楽だと思うからです。

 しかし、本当のところは、苦しみをそのまま抱え込んでいるだけなのです。その証拠に上述のようなことを指摘されると、激しく反論することでしょう。自分ではどうしようもない運命を背負わされている犠牲者であると、自分を見做しているからです。犠牲者を責めるような指摘をする相手に対して、猛烈な怒りをぶちまけるでしょう。
 自分が犠牲者であることを理由に、結局は何もしないことを選びます。自分は悪くないのだから、自分が何かをする必要などないと、言い訳をつけるのです。このようなプロセスをずっと繰り返し続ける人生を送るのです。

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