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妬み、嫉み

 自分よりも恵まれていると思われる人を見て、それを羨んだり妬んだりすることはよくあることです。しかしそのあまり、その人に対して攻撃的になるような人も少なくありません。マスメディアによるものや、インターネット上において行われるもの、残念ながらそのような事例は枚挙にいとまがありません。

 これらの原因はすべて、自己否定にあります。自己否定とは自分で自分のことを劣っている、ダメな奴だと思っているということなのですが、私たちはそれをまるで誰か他の人から言われているかのように感じているのです。自己否定によって生じるネガティブな感情を、外部の何かのせいだと誤解しているのです。それで他人が評価されているのを見ると、まるでその人が自分のことを劣っていると蔑んでいるように感じられることがあるのです。「あの人は恵まれている、讃えられている→羨ましい→それに比べて私は認められていない→悔しい苦しい→こんな思いをするのはあの人が讃えられているのを見たからだ→この苦しみはあの人のせいだ」、と言うわけです。だからそのネガティブな感情を消したいがために、相手を排除しようとして攻撃するのです。

 問題はその人の中にあるごく個人的なものなのです。しかし、あまりに多くの人たちがこの誤謬に陥っているために、上記のような論理展開による顛末が一般的なことと受け取られているのです。そのような八つ当たりがまるで社会のニーズのようになっているがために、マスメディアがビジネスにしようとしたりするのです。人は匿名のストレスのはけ口にインターネットに向かうのです。
 このような行為を倫理的な問題としてしまうと、まるで解決の糸口はありません。倫理という複雑な考察を必要とするような何かにしてしまうことによって、個人個人の問題であるという事実から、人々の目を遠ざける結果になってしまいます。そもそも、人が他人への嫉妬の上で攻撃的になることが、当たり前のことということが前提となってしまっているのです。それがどうしてなのかという原因に目を向けようとしていないことが、問題の解決を阻んでいるのです。

 人は他人を攻撃することを幸せだと感じているのでしょうか?まずはそのあたりに疑問を向けてみてはどうでしょうか?そうすることで、これが自分個人の問題であるということに、気がつけるのではないでしょうか?

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