芸術論①

興味分野の話を以前したが、芸術にも興味がある。
展覧会には足を運んでいるし、クラシックも詳しくはないが、なんとなく聞く。
大学のゼミでは印象主義、また別の講義でオランダ黄金期の芸術について勉強したので、歴史的な背景もこのあたりは一応抑えてはいる。

さて、哲学の講義で芸術論について考える回があった。


リンク先の文章を読んで反論せよ、という課題が出た。
この文章を書いた山形浩生は、特に美学の専門家などというわけではない。しかし、かなり示唆に富んだ議論で面白いと思った。

大体要約すると「芸術の価値は、人類の限界を体現し、おし広げているかどうかにある。」みたいなことを言っている。私の読解力ではそうなった。

もう少し噛み砕く。
山形は、芸術というものは人類の限界を体現しているとした上で、

①かつては宗教が合理的なものであった。
②これまで傑作と言われてきた宗教絵画は、合理性の発露である。
③現代において「合理的」とされているものは科学である。
④したがって、科学を体現した芸術に価値がある。

というような論の運びをしている。

山形が例にあげているのは、「世界最速のサイコロ」だ。重心が精密に中心に来るように設計されたサイコロである。これは現代の科学技術を用いて作られており、サイコロそれ自体が人類の到達点を示しているのだ。

あと、カマボコ。
すごいカマボコも、すごいよね、と言っている。(言っていないか?)

逆に山形が「価値がない」としているのは、例えば孫が描いた絵や震災などをテーマにしたアートである。こういった類の芸術は、当事者のみ価値があると感じる。
しかし、サイコロはどうか。このサイコロの価値は人類全体に及んでいる。

これからの芸術は、例えば超ひも理論、例えばソフトウェア、こうしたものをアートとして表現していくべきだ。
しかし、昨今の芸術家はアホなので無理だろう。

以上が山形の主張だ。たぶん。
まあ分からんでもないが、やはり引っかかりがある。
この、「まあ分からんでもないが、なんか違うな」を言語化するのがかなり難しく、自分のバカさ加減を思い知らされることになった課題だった。

次の記事で、穏健な方法を使って反論していきたい。


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