引越しにあたっての心境
引っ越す。
性懲りも無くまた引越し。次で10軒目、産まれた家(祖母の家)と実家を入れたら12軒目だ。
この家がとても気に入っていた。
ただ、エアコンが無いことと、隣で新築工事が始まった騒音のストレスとで、家に居ても落ち着かなくなり妻に泣きついたところ、急遽引っ越そうということにしてくれた。マットレスが写ってるのは工事現場から遠いリビングで寝ているからだ。
一昨日妻が見つけてくれた新しい家を、昨日下見に行って、今日契約を決めた。自分の人生に特徴を見出すならこの衝動的なところ、というのは格好つけた書き方で、単純に忍耐力が無い。暑い夏も騒音も、待てば終わる、待てば終わるとわかっているけど待てない。待つことが大嫌いだ。待つくらいなら食べない、要らない、引っ越す。忍耐力が極端に無い。
というかそもそもだな…いや、本当はこうして書くことで考えてしまうから、考えるだけでイライラすることはもう書きたくもないのだけれど-暑さはいいとしても、新築工事の騒音に関しては、こちらが我慢する必要なんて無いはずだ。
博物館を建てる、公園を建てる、それならわかるよ。けど、個人が住む家を建てる為に、凡そ一年間にわたって騒音を出し続けるというのは、しかもそれが法律違反とかにならないのはおかしくないだろうか?家ができたって、騒音を我慢していた近隣住民にはなんの恩恵もない。そしてこれが最も許せないことだが、多分家の主は、家ができるまでどこか静かなところで暮らしている。こんな良いとこどりがあってたまるか?
自分では絶対に家を建てないと決めた。それから、たとえ友人であっても家を建てたやつとは絶交しようと思う。悪いけど。
〜
本当に、引っ越しばかりの人生だ。26歳で12軒ということは、赤ちゃんの頃から引っ越せるとして、約2年おきに引っ越してることになる。実際には赤ちゃんの頃は引っ越せないわけだから、以下の図にまとめてみた。
まったく、ほとんどが他力本願である。自分が契約者として名前を書いたのは、たったの2軒。その2軒「床屋の隣」と「メゾネット」も、引越しの為に大学時代の後輩や先輩に車を出してもらったり、知り合いに家具を貰ったり、メルペイ乞食をしたり、していた。
メゾネット時代に通帳とカードのすべてを当時の彼女に任せてから、別れるその日まで、自分のお金がどれだけ動いているのか知ろうともしなかった。執着がないわけじゃないが、面倒臭かった。とにかく面倒臭いことは、人にやってもらって来た。
だから、別れたときに自分の貯金が1000000円もあったときには本当に吃驚して、ちゃんと扱えず、すぐ無くなった。今後もきっとあれ以上の大金を持つことは無いと思う。あれはなんの金だったのか、今でも不明。
そして今、はぁ。また引っ越そうとしている(自分のせいである)。この命尽きるまで、あと何度引越しできるかな。
湖底は、今もずっとつくっている。
2年前までは1ヶ月に一冊作れていたのだけれど、あれは、今思えば試作品の量産みたいなもので、本当に1000円なんて値段で売っちゃいけない代物ばかりだった。
それでも1月号は、自殺について考えるレオさんのお陰で、今でも月に2、3冊コンスタントに売れたりしている。ありがとうございます。もし1月号を読んだ人が全員自殺していたら、僕は殺人鬼としては中級レベルぐらいかな。
試作品みたいなものはもう作りたくない。けど、書いてるときはよく書けてると思ってやってるし、自分なりにいいものができたと思っているはずなんだけど、実際手元に届くと本当にゴミみたいなものに感じられてくる。前号もそうだ。酷いもんだったあれは。
今はそうならないように、時間をおいて読んでみて直しという作業を延々繰り返している。いつまで経っても完成しそうにはない。なぜやっているのか。よくわからない。やらなきゃいけないという使命感さえある。きっと自分で自分を肯定できる材料が、他になくなってきているんだろう。
禅宗にこんな問答がある。
「未だ咲かぬ蓮を何と呼ぶ」
「蓮の花」
「では咲けば」
「蓮の葉」
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