「らしさ」とスタイルの違い
*以前の記事を再編集して掲載しています。
これが私のスタイルなの!
という言葉に、どのような印象を持たれますか?
また、私らしさと、私のスタイルはどう違うか?
これらは混同されていることが多いのですが、ふとした時にこの混同が大きな障壁になったりします。
問題を感じ、変化が必要なときに。
スタイル、例えば体型としてのスタイルだったら維持するのは大変だったりします。
一方、「らしさ」は自分の意志に関わらずにじみ出てしまうもの。
世界(自分以外)に表現されていることでは一緒ですが、見返してみると元々が大違いなのがわかると思います。
スタイルは「こだわり」で維持し、エネルギーが必要。
「らしさ」は自然のもので、エネルギーもコストもかかりません。
むしろ「らしさ」は「こだわり」を手放すことで自然と滲み出てきます。
どちらにどのような価値を見出し、どう扱いたいと思いますか?
もちろんどちらも、それなりの役割があるのですが…。
僕は変化を求めて訪ねてきた人に、これらを整頓をするよう提案したりします。
カギは自分の「こだわり」をどう扱うか、ですと。
魚拓やメダル、目に見える成果って飾っておきたくなるのが人情。
成果は見方を変えれば執着です。
執着って本能かな?て思ってましたが、僕の子供を見ていて、違うな、と思うようになりました。
うちのある一つの木箱には折り紙から紙で作った造形物でいっぱいになっています。
6歳の子供に「作ったものはここに入れること」としている箱なんですが、作ったときの達成感と見合わないくらい見返したりしません。
それを見ていると人は本来物事に執着しないのが素(す)ではないかと思います。
一方、大人はベストなものを保存したがります。
それを狙って発達したのがインスタでしょうけど、もう欲望のるつぼみたいになってますね…。
執着です。その瞬間は「これだ!」。
実は迷いがあるのにそれに捉えられるのが苦しくてそうするのだと思います。
武道武術では「これだ!」の後には必ず「あれ?」が来ます。
武道武術までしなくても、例えば姿勢。
姿勢ってみんな正しいところでキープしたいので、まずピーク・パフォーマンスを知りたがります。
正しさを求める。そしてそれに執着してしまう。
この欲求が本能から来ているか?
違うと思います。
この思考は幼い子供にありませんから。
捨てられる思考です。
正しいところでキープ!
まずそれを捨ててみませんか?
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