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【ひとによっては閲覧注意】親の思い通りの子供になれない事がそんなに悪い事なのか

子供への虐待・人権侵害と、親殺しでは、どちらの罪が重いのか……

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なんとも言葉に困る殺人事件の裁判内容が話題になっている。

事件の内容は、度を越した教育ママによって約10年間も浪人生活を強いられ、それによって自由を奪われ、青春を奪われ、全てを否定され続けた娘が、遂に我慢の限界を超えて母親を刺し殺し、死体を切り刻んで捨てたというもの。

詳しくは上の記事の内容を最後まで読んでいただきたいのだが、私としては正直に言えば同情以外の感情が湧いて来ない。

「子供が親を殺す」とだけ聞けば「罪に問われて当然である」と結論付けられるのだが、そこに「母親の見栄のために人生をぶっ壊された」なんて補足情報が加わると、一気に同情へと気持ちが傾いてしまう。

これは事件としては "親殺し" であるが、それはたまたまそうなっただけであって、どこかでほんの少し展開が変わっていたら "子殺し" になっていた可能性も高い。
どのみち、このルートをどう進んでも、母娘には幸せなエンディングなど用意されていなかったと思われる。

では、そんなバッドエンドルートへ突き進むキッカケを作ったのは誰なのか。誰がどう悪くてこうなったのか。それを考えると、親を殺した娘を責める気持ちにはなれないのだ。

この事件は、そもそもは子供への虐待事件であり、人権侵害であり、母親の見栄のために娘の人生をぶち壊しにしたという話だと解釈すべきである。
そう考えると「被害者が懲役10年という重い罰を背負わされる」という見方も出来てしまうのだ。

オレ様のトラウマをほじくってみよう

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とまあそんなありきたりな感想を言うだけでは面白くないので、今回は私の実体験をご披露したい。これは私の人生の中でも最大級のトラウマである。

さて、私の父親はとても勉強が出来たひとで、開成高校の卒業生である。同級生には医者だの官僚だのが多く、親父の親友の中には、日銀の副総裁までいた。

そんな父親を持ってしまった私は、小学生の頃から私立の中学校を受けるべく、理想を言えば父親と同じ開成に入るべく、受験勉強をさせられていた。月・水・金はここ、火・木はここといった具合に、2つの有名な進学塾を掛け持ちし、毎日ひとりで電車で通い、日曜日は四谷大塚の共通試験を受けに行く。小学4年生の頃からそんな毎日だった。

私は勉強に関しては父親のDNAを僅かに受け継げたようで、四谷大塚のテストなどでは常にそこそこの点数を取れていたのだが、結果としてそれが親に妙な期待を持たせ、自分で自分を地獄に落とす要因となった。

結論から言うと、私は冒頭の事件の加害者のように、親の期待通りの結果が出せなかった。学力とかIQがどうのというより、心が壊れて勉強どころではなくなってしまったのだ。

当時は受験戦争が特に加熱していた時代で、進学塾では子供達が頭にハチマキを巻いて「開成ひっしょー!」と叫んでから勉強を始めるといった光景が当たり前のように見られたが、私はそんな受験戦争のテンションについて行けなかった。もっと友達と遊びたかったし、見たいTV番組も山ほどあったし、勉強以外にもやりたい事が多すぎた。

ところが、その殆どは叶わなかった。

例外的に、空き時間にこっちの都合で楽しめるマンガやゲームは人並みに与えて貰えたが、そのお陰で一人遊びしか出来ない子供になってしまった。

私が生まれ育った板橋区の仲宿なんて古臭い街には、中学校から私立を受験するような子供は殆どおらず、同級生では私以外に1~2人いるだけだった。そのせいで「今年は私立受験者が複数人いるぞ」と、教師達の間で騒ぎになったそうだ。

そんな状況での受験勉強だから、同級生の中に理解者がおらず、仲が良かった友達ともどんどん疎遠になって行き、一緒に遊べない、同じTV番組を見れない、話題が合わない……と、日を追うごとに孤独になっていった。

そして気付けば、小学校6年生になった時点で、すでに鬱病だったとしか思えない奇行が始まっていた。

子供を壊すのは簡単なんだよ

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当時の私が起こした奇行の最たるものは、夜中に裸で外に飛び出して、家の周りを走って帰って来るというものだろう。
今となっては脳が思い出す事を拒否するのか、本当にそれをやっていたのか記憶が曖昧で、気が狂って幻でも見ていたのではないかとすら思うのだが、泣いている母親を覚えているので、あれは多分現実なんだろう。

それともうひとつ、部屋のゴミ箱にオシッコを貯めていたなんてのもある。自分でも何を言っているのかよく分からないが、小6当時の私は自室のゴミ箱にオシッコをし、なみなみと貯めていたのだ。
何が目的でそんな事をしていたのか全く分からないし、これもこれで妄想じゃないかとも思うのだが、残念ながらこの件についても現実だろうという実感がある。
というのも、あるとき部屋の掃除をしに来た母親が小便入りのゴミ箱に足を引っ掛けてしまい、『私の小便が撒き散らされた部屋でうずくまって泣く母』という地獄のような光景になってしまったのだ。その強烈過ぎる絵が頭に焼き付いていて未だに忘れられない。

早くも書いていて本気で辛くなって来たが、私はこういう生活によって心が壊れ、またこの時期に覚えねばならない「自発的に動く」だとか「自分で自分の道を決める」という当たり前の事が出来ない人間になってしまった。

この点については、実は未だに全然治っていない。私は普通のひとと比べるとこういう部分が病的なまでに欠落しており、よく仕事相手から「のんびりし過ぎだ」とか「もっと積極的に動いてくれ」なんて言われるのだが、申し訳ないが本当にそれが出来ないのである。しようとしないではなく "出来ない" のだ。もうこれは一生治らないんだろうなと諦めてすらいる。

10代の頃に受けた心の傷や、外からは絶対に分からない "欠損" というのは、一生引きずって生きて行かねばならないものなのだ。

親に「失敗作」と罵られる子供の気持ちが分かる?

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親が私に何を期待したのかは知らないけれども、私が親の言いなりになって、他の全てを犠牲にしてまで勉強をしていた理由はただひとつだ。

親を喜ばせたかったからである。

私は生まれつき小児喘息で、発作が起きると1ヶ月は幼稚園にも学校にも行けず、ひたすら家で呼吸困難に陥ってのたうち回っていた。毎日毎日「大人になる前に死ぬかもしれない」と思いながら生きていた。
毎月都から公害認定者としてお金を貰っていたほどのプロの喘息患者であり、自慢じゃないが身体を動かすような事は何一つ出来なかった。

今でこそ喘息による子供の死亡件数は激減したが、当時は普通にバタバタと子供が死んでいた病気である。私の少し上の世代から喘息による犠牲者が出過ぎたために、国が本気になって喘息治療に取り組むようになったという背景があるほどだ。

そんな死に至る病気を患っていた私には、勉強をして点数を取るくらいしか、親を喜ばせる手段がなかった。だから必死にそれをやり続けていた。全ては親に褒めて欲しいから。認めて欲しいから。大好きなお父さんやお母さんに喜んで欲しいからだ。
「自分の将来のために今はこれをやる」といった先の事など考えられなかったし、そもそも大人になるまで生きていられるかも分からなかった。

さて、私が小学校の4~5年生の頃、父親が地元の少年野球チームのコーチをする事になった。後に監督になったそうなのだが、私はその辺りの事を全く知らない。というのも、私はとてもじゃないけど運動が出来るような子供ではなかったので、父親の野球チームに参加するなど夢のまた夢だったのだ。

親父は毎週土日になると少年野球のために出掛け、よその子供達と野球をやっていたが、私自身はキャッチボールをして貰った記憶があまりない。喘息の他に弱視スレスレの近眼という欠陥もあるので、多分やりたくても出来なかったんだと思う。

ある日曜日、たまたま何かの拍子に塾がなくなり、ヒマなので近所の公園に遊びに出掛けた事があった。そこでユニホームを着た父親が、知らない子供達と野球に興じる姿を見た。とても楽しそうだった。その時に私は「ああ、お父さんはそういう子供が欲しかったのか」と思った。

思えばここで私の中で何かが壊れたのだろう。裸で家の周りを走ったり、部屋のゴミ箱に小便を貯め始めたのは、ここから1年後くらいだったように記憶している。

身体を動かせないため、そっち方面で親を喜ばせる事が出来ない。私には勉強をして、テストで良い点を取るくらいしか、父親に認めて貰う手段がない。そんな強迫観念があった事を強く覚えている。

ところが、日々心が病んで行き、教科書を開くだけで目の前がブツっと真っ暗になるというよく分からない症状が出るようになり、遂には上に挙げた奇行が始まり、成績が急降下し始めた。

小学校の内はまだ勉強の貯金があったので何とか誤魔化せたが、中学に上がると同時に完全なる落ちこぼれになった。勉強しようにも教科書の内容が頭に入って来ず、新しい事が覚えられなくなったのだ。
勉強や授業の内容が理解出来ないとかいう以前の話で、勉強をするという行為自体を身体が拒絶するようになってしまったのである。

こうして中学生で不登校になり、辛うじて入った高校を中退し、タバコを吸ったり酒を飲んだり悪い付き合いが増えたりと順調に転落の道を突き進む私に対し、親父はこう言った。

「お前は失敗作だ。俺も母さんも出来る限りの事をした。お前がダメになったのは全てお前の責任だ。後になって親を恨むな」

親にこんな事を言われた子供の気持ちが分かるかキミら。

私は親に喜んで貰いたい一心で勉強に励んだものの、結果が出せていたのはほんの一時だけで、すぐに無理が祟ったのか病んでしまい、勉強どころではなくなってしまった。

当時はまだ鬱なんて単語は定着していなかったし、私の症状に対して医者は「ノイローゼです」だの「思春期病です」だのよく分からない事を言うばかりで、治療もカウンセリングもまともなものを受けた試しがない(霊媒師のお祓いとかなら色々やらされたが)。

そんな有様で親も万策尽きたのか、最終的に施設送りにされるところまで行ってしまった。いわゆる "寮生活をする特別学級" みたいな場所に入るという話を勝手に進められたのだ。
ある日母親が居間のテーブルの上にその手の施設のパンフレットを並べて、オレに向かって「海と山とどっちが好き?」なんて聞いて来やがったのである。その上での父親からの「お前は失敗作だ」発言だったので、これで私は完全にぶっ壊れた。

私は喘息で苦しみ、勉強疲れのノイローゼに苦しみ、常にのたうち回って苦しんでいたのに、親に助けて貰った記憶がない。もしかすると親からしたら助けようとしたつもりだったのかもしれないが、全て見当違いで、私はどこまでも転げ落ちて行くしかなかった。

そんな境遇の息子に対して失敗作て。

ポイ捨てて。

我ながら、よくオレはあの時家族を殺さなかったなと感心する。

その後私は家出をしてみたり、ロクでもない道を好んで突き進むようになり、気付けば何だかよく分からない大人になっていた。

親に認めて貰えなくても他人に認めて貰えれば……

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ちなみに、こんなどん底人生を歩んでいた私の心のお病気がフっと楽になったのは「AVが売れたから」である。

話を端折り過ぎで意味不明だろうが、流れ流れて25歳でAV監督になり、その時に撮った作品がどれもそこそこ売れてくれ、そこで人生で初めて「他人に認めて貰えた」と実感出来た。

また30歳になってから本を書かせて貰えたのだが、それもそれで評判が悪くなく、このような経験をする内に心が軽くなって行き、気付いたら「ちょっと精神的にピーキーなオッサン」という程度にまで落ち着いた。ここまで快復するのに20年かかった。

私が冒頭の事件の加害者女性と大きく違うのは、たまたま運良く承認欲求が満たせたという一点だけである。そこ以外は似たりよったりだろう。

もしかすると、私が男であり、いざとなったら暴力で親に歯向かって逃げるという選択肢が選べたというのも大きいのかもしれないが、最終的に道を踏み外さずに済んだのは「親以外の人間が自分を認めてくれたから」である。

例えば30歳の頃に出会って子供まで産んでくれた女房だとか、AVを評価してくれた人達だとか、本を買って読んでくれる人達だとか、もっとクサイ事を言えばこのnoteをわざわざお金を出して読んでくれている人達だとか、そういう自分を認めてくれる他人の存在を感じられるからこそ、真人間として生きていられるのだ。

母親を殺してしまった加害者女性はこれから刑務所に入るそうだが、刑期が10年という事は、出て来た時には出産も難しい年齢になってしまっている事になる。果たして彼女の生まれて来た意味って何なのだろうか。彼女という存在を認め、評価してくれる人間は、この先現れるのだろうか。

私個人の考えとしては、彼女に経験させるべきは刑務所暮らしではなく、何らかの形で他人に認めて貰えるような社会生活を送らせる事だと思う。情状酌量というなら、何とか執行猶予を付けてシャバで暮らせるようにしてやれないものか。

毒親のせいで20代を丸ごと台無しにされ、挙げ句に今から10年刑務所に入って30代も全損。それで40歳過ぎてシャバに戻らされるだなんて、彼女はどうしてそんな地獄のような人生を送らねばならないのか。

罪は罪なのだから仕方ないと理屈では理解しているのだけれども、心の奥底から加害者女性に対する同情がとめどもなく溢れ出てしまう。


こんな記事を書いている隣の部屋で、来月から小学校に上がる息子がクークーとイビキをかいて爆睡している。早いもので明日は卒園式だそうだ。
私はこの先どこまで彼の人生を支えてやれるだろうか。そして彼の価値観や決断を尊重してあげられるだろうか。

たまに感情的になって息子に厳しくあたってしまう事もあるけれど、そういう時は親父に投げつけられた「失敗作」という暴言を思い出すようにしている。

それは私にとって10~20代を台無しにしてくれた恨んでもまだ恨み足りない一言ではあるが、それが今「愛する息子の人生を壊さないためのブレーキ」になっている。それだけが唯一の救いだ。


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