見出し画像

BUNKAオンラインに「フェミニズムとエロ表現」がテーマの素晴らしい記事が掲載されている

【定期購読マガジンについて】
[内容] 元芸能記者、元AV監督などなど流浪の人生を送るライター荒井禎雄が、主に実体験を元に様々なジャンルの記事を書いています。
[特に高評価された時事ネタ]  表現規制問題 ・フェミニズム問題・セックスワーカー問題・ネットウヨク問題など
[フィールドワーク] 地域批評・商店街批評・グルメ
※主に東京23区の下町や商店街を中心に、その街の住みやすさや特色などについて解説します。
[料金]  月額500円(継続購入になりますので、購読を中止する場合はお手数ですが解除手続きをお願いいたします)
[更新頻度] 2018年11月の開設以来、毎月約20本の記事を掲載しています。 マガジン購入者限定のネット配信番組やイベントなども思案中ですので、ぜひ応援&ご購入よろしくお願いいたします。
[ご購入はこちらから]
https://note.com/oharan/m/me7f4e089bacd

BUNKAオンラインちゅき(はあと)

まずはこの座談会形式の記事をお読みいただきたい。

りかちゃんにドルショックさんに神田さんと、気のせいか知り合いばかりにも見えるのだが、まあそれはそれとして内容が素晴らしいのである。

あまりに素晴らしい内容なので、今回は他人のふんどしを最大限に使わせていただき、記事の内容に解説を加える形で「今現在フェミニストを名乗る人間達がいかに偽物か」について語りたい。


"自称フェミ"への疑念

まずこの記事のテーマは冒頭にある通り、「今現在主流と見られているフェミニズム」に対する疑念だ。

フェミニズムの新しい潮流『第四波フェミニズム』。自らの性被害を告発する#MeToo運動を代表に、オンライン上での問題提起、運動参加などを特徴とし、実際のところTwitterを始めとするSNSには、女性たちによる男女の不均衡や性暴力の告発、男性至上主義な世の中への非難などの多くの声が溢れています。その中でも、被害者意識を強く打ち出し、ミサンドリーが時に批判される攻撃的なフェミニスト、通称「ツイフェミ」たちは、女体やAV、漫画などの性表現に関して嫌悪感を抱いて規制を主張する傾向にもあります。

そこで今回は、性表現に携わる女性たちを集めて座談会を開催。女性でありながら性を表現する立場として、現代のフェミニズムにまつわる議論や主張に対してどう思うかを語り合ってもらいました。

私も過去に何度言ったか分からないが、フェミニストが女性の自発的な性表現を否定し出した辺りで、「フェミニズムはフェミニストではない別の何かに乗っ取られた」と断じるべきだった。

これについては、ドルさんがいの一番にこうぶった切っている。

フェミニストっていう言葉は、性の解放のためにも使われていたので、性的な表現をバンバンする人のことも指していたはずですよね。だから最近は言葉の使われ方がおかしくなっているところに違和感があって。性的な表現とか男性を攻撃する人のことのみをフェミニストと呼んでいるところに、まずわたしは違和感があります。

違和感どころか、ドルさんが指摘したコレが答えである。

今現在Twitterなどで悪目立ちしているフェミ(いわゆるツイフェミ)や、それを手駒として使っているフェミ活動家などは、揃って性表現を嫌悪している。その表現者が女性であってもお構いなし、むしろ表現者が女性だった場合はより苛烈に殲滅しようとヒステリックな攻撃を仕掛け始める。

それのどこがフェミニズムなのだろうか。
何が女性解放なのだろうか。

この時点でそいつらは単なる性嫌悪(特に男性嫌悪)者であり、間違ってもフェミニスト・フェミニズムではないと切って捨てねばならない。こんなヤツらを「フェミの仲間」として迎え入れ、活動家どもの動員数の水増し要員かのように使い出したのが大間違いだったのだ。

これによって、本邦におけるフェミ・フェミニズムとは、性嫌悪・性的な記号の否定を意味する物と成り果ててしまった。

これによって苦しめられているのは、今回取り上げた記事に登場している、性表現を生業とする女性達である。「フェミニズムの名の下に女性が火炙りにされている」のだ。


誰が本当のフェミなのか

その後、マキエ・神田・大泉各氏が「自分こそがフェミニストであるはず」と主張する。

これについてフェミ界隈からはさっそく投石攻撃が始まっているようだが、そこに余計な事を付け加えるならば、私も自分で自分を「本当のフェミニストだ」と思っている。

これまでの言動から、私などアンチフェミの筆頭と見られておかしくないのだが、私は本気で自分をフェミニストだと認識している。そして私の思想・価値観は、記事に登場する方々とほぼ同じだ。

早い話がこっちが本当のフェミであって、ツイフェミやフェミ活動家の方がどっから涌いて出たか分からない偽物なのである。だからこそ私は長年に渡ってこいつらを全否定し続けていた。「偽物がフェミを名乗るな」と。

「男性が嫌いです」
「男性が喜ぶ物をこの世から失くしたいです」
「性的な記号が目障りです」

と、自分の主張を正しく言えよと思う。そしてこれらは全然フェミニズムではないのだから、フェミの看板を掲げるな。

これについては神田さんのこの言葉が鋭い。

あのネットのフェミニストみたいな人たちには、まったく共感できない。あの人たちは難しい言葉を並べて、さもなにかしている気になって男のもぐら叩きと言葉狩りをやってるだけじゃないですか。そこに何かの主張というか、現状を変えようという行動が感じられないんです。文句言ってるだけの当たり屋みたいな人たちと喧嘩しても時間の無駄でしかない。

ね、私が何年も言い続けている事と全く同じでしょう。性表現の最前線に立ち続けたひとで、これを否定する人間はいないように思う。

今現在フェミを自称して騒いでいる連中というのは、やっている事は単なる言葉狩り・表現狩りである。そしてその先には焼け野原があるだけで、女性にとって生きやすい社会になど辿り着かない。

これこそがツイフェミやフェミ活動家の最大の欠陥である。不幸になる人間(男女問わず)を増やす事だけは出来るが、それ以外の何もなし得ない。それが今現在主流という事になっている "フェミ" である。


フェミと嫌悪感

この座談会の優れているところは、ツイフェミらの否定だけではなく、自らが持っている嫌悪感と正直に向き合っているところだ。

たとえば、2P目で大泉氏が言葉を選ばずぶっ込んで来る。

わたしには、いわゆるツイフェミ的な人と共通点があって。アニメのポスターとか見ると反射的に「キモっ!」って思う。

その後、大泉氏に同調するような意見が述べられているが、座談会参加者達は己が持つ嫌悪感の処理方法を正しく身に付けている。ここがツイフェミや活動家との最も大きな差であろう。

そして「他人の性欲とはキモイものである」という事で合意を得つつ、「排除などやり過ぎはおかしい」という結論に至っている。私はこれがとても自然な思考であると思う。

普通の人間は「乳袋ぉぉ!!!」なんて一々目くじら立てないだろ。さらに言えば、そういう嫌悪感を持ったとしても、その表現物を燃やし尽くすまで粘着し続けるなんて、ハッキリ言って心のお病気としか思えない。

「お前らが燃やすべきは萌え絵じゃなくてお前の中にある病巣だよ」と言って差し上げたい。


「母親と便所」

その後は各自の赤裸々なキモイ(笑)性の告白大会が始まるのだが、その中で神田氏が非常に重要な指摘をしている。

1970年代のウーマン・リブ運動で活躍した田中美津さんのいう「母親と便所」の二種類の女がいて、そっちにいったらこっちに戻れないっていう変なレッテル貼りをするわけです。

ツイフェミやフェミ活動家は、自分達に反論してくる女性や、都合の悪い女性に対して、"名誉男性" という "名誉白人" をもじったトンデモない差別語をぶつけるのだが、神田氏の指摘がまさにコレについてである。

女性を叩くフェミ達は、自分達が聖なるモノであり、それに敵対する連中は相手が女性であっても邪なるモノだと、どこぞの攻撃的なカルト宗教かのような思考に陥っている。

こうする事で何事か主張する際に「わたしたち女性」と可能な限り主語を大きくしつつ、「お前らが女性の代表ではない」と言われた場合には「あいつらは女性ではない、サタンの手下である」と切り捨てる事が出来る訳だ。

この座談会から伝わって来るのは、このような自称フェミのインチキさであり、またアイツらが女性の代表ヅラをする限り、不幸な目に遭う女性が後を絶たないという "絶対に当たる予感" である。


エロ業界とフェミニズム

今回は登場人物が全て女性だったが、エロ表現の業界に入ると男性であっても嫌でもフェミニズム的な思想が知らず知らず身に付いてしまう。

というのも、エロ表現の世界では良くも悪くも客は男性である事が多く、比率で言えば昔から [男女比7:3] ないしは [8:2] と言われていた。それくらい男が払う金で成り立っている業界なのだ。だからこそ、男向けのエロ記号が割合的に多くなって当たり前である。

私が在籍していたのはAV業界だが、男を喜ばすには脱ぐ女が必要な訳で。となると脱ぐ女(商品)をいかに確保できるかが商売のカギとなる。

だからこそ私がいた時代のAV現場では、新人はまずこのような事を叩き込まれた。「AV業界ではAV女優が神様、それ以外はゴミと思え」 と。

これは特に撮影現場において顕著で、現場でAV女優の機嫌を損ねたら撮影が進まないし良い絵も撮れない。よってAV女優をカミサマ扱いし、それ以外のスタッフは何かあったらまず我慢。これが時間通りに現場を回すコツだ。

そういう業界に長くいると、自然と「女性を立てる」とか「女性の都合を優先する」という考え方が身に付くのである。私も業界の先輩に何度か「女が裸になってくれてるからオレもお前も金が貰えるんだぞ」と言ってきかされたが、この考え方が欠如すると、それこそバッキー事件のような悲劇が起こってしまう。

ただ、長いAVの歴史の中でバッキー事件やそれに類する事件・事故を起こしたのは、バッキーしかいないという点を頭に入れていただきたい。バッキー事件当時でも、あのやり方は業界的に絶対のNGであり、だからこそバッキーは人権団体・第三者団体も何もなかった当時のAV業界に天誅を喰らわされて事件化されたのだ。

このように、女性を搾取・消費していると言われがちなAV業界ですら、実はフェミニズム的な思想がストッパーとして働いているのである。

こうした話はAVに限らず、ストリップの業界にも全く同じ話がある。

私が頻繁に取材させていただいている浅草ロック座には、数年前まで「生きる伝説」と呼ばれていた大ママがいた。斎藤智恵子さんと言い、東八千代の名で活躍していた元踊り子だ。

この方はビートたけしや勝新太郎を金銭的にバックアップしていた事でも有名で、ビートたけしには「浅草のお母ちゃん、ママ」と呼ばれていた。

この方の武勇伝は数多く、ヤクザと興行権で揉めて寝込みを襲われて刀でざっくり斬られたとか、若い食えないヤクザ者の面倒を見てやったらそいつらが組を持つまでに出世してしまって、ロック座が "どこの組も手を出さない聖域" になってしまったとか枚挙にいとまがない。

そんな伝説の女傑に何度かお会いした事があるのだけれども、智恵子ママの遺した名言にこのようなものがある。

「女に感謝しなよ。女が裸を見せて稼いだ金でお前達は食ってるんだよ」

智恵子ママが亡くなった今もロック座ではこの薫陶が生きていて、まず踊り子ありき。多額の投資をして照明や音響設備を整え、いかに踊り子を美しく見せるかに尽力している。しかも衣装を作っているのは踊り子を引退した大姐さんや、若い女性スタッフだし、踊り子以外にもあちこちに女性の感性が影響を及ぼしている。

だからこそ今になって女性客が爆発的に増え、ストリップを見て女性客が涙を流すという空間が生まれたのだと思う。

女性だと割引料金で入れるので、物は試しにぜひ一度観て欲しい。

偽物を見分ける方法

フェミニストを自称する人間が本物か偽物かを見分けるには、「女性の武器を使って金を稼ぐ」という行為に対してどのような反応を見せるかを基準にすれば一発で分かる。

偽物フェミは「男性を喜ばす女は名誉男性である」として、自分達と同じ女性であるとすら認めず、むしろ名誉男性と見做した女性達に執拗な攻撃を繰り返して来た。

そんな単なるミサンドリーをこじらせた病人をフェミとして受け入れ、また自分の支持者層としたフェミ活動家達の罪はあまりに重い。

これによって本邦ではフェミニズムという思想が完全に滅び、フェミを名乗る何か別の物が "フェミニズム(偽)" として幅を利かせるようになってしまった。

その結果、本来ならばあらゆる女性がより生きやすくなるための物だったフェミニズムという思想が、特定の女性にだけ適用される選民主義的なグロテスクな代物と化してしまったのだ。

近頃ではAV新法の一件など、偽物達が立法にまで影響力を持つようになってしまい、そのせいで至る所で女性達が不幸になっている。現在社会問題視されている大久保公園などの素人売春問題や梅毒の蔓延など、当noteで散々指摘しているが、エロ業界を偽フェミ的な嫌悪感・スティグマだけで締め上げた結果でもある。

今回取り上げた座談会は、このような偽フェミがもたらす不幸や被害を最前線で知る女性達による、「フェミニズムがどういう物だったか思い出せ」という最後通牒のような記事なのだ。

彼女達の声をまともに聞けないようでは、もうこの国では本来のフェミニズムの復権は望めず、女性達はますます生きづらくなる事だろう。


※ 本文ここまで
以下はテンプレがあるだけなので、お布施してくださる方のみ有料マガジンをご購入ください。
https://note.com/oharan/m/me7f4e089bacd
ちなみに、有料マガジン(500円/月)も記事単品も同価格ですので、マガジンのご購入をオススメしております。

ここから先は

687字

¥ 500

皆様からの金銭サポートがあると、子育てに追われる哀れなオッサンの生活がいくらか楽になると思わせておいて、息子の玩具やお菓子や遊園地代で殆ど溶けます。