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「嫌なら見るな」が理解できない人々

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インターネット老人会員のボヤキ

私が個人サイトを開設したのは今から約20年前だ。その頃にはブログなんてものは影も形も無かったし、SNSなんてハイカラな物も存在しなかった。
必死こいてhtmlタグを覚え、クソ恥ずかしいフォント弄りをしまくって、黒バックにオチは赤太文字。mixiが誕生した時にはすでにネットに浸かり過ぎて擦れっ枯らしになっていた、そんな世代である。

ところが、私はごく普通のネット利用者よりもヒマだったのだろう。個人サイトだけではなく、商用サイトの仕事を請け負うようになり、気付けば広告代理店的な仕事もするようになっていた。ネット利用者が爆発的に増え、インターネットビジネスが注目されて来たタイミングだったので、その流れに上手く乗れたのだ。

そんな時代からネットに張り付いていたTHEネット弁慶であるアタクシは、生きる知恵とでも言おうか、知らず知らずの内に 「ネットを使用する際の心得」 を身に着けていた。

……いや、身に着けていたというか、何度も何度もヤラかして、恥をかいて、嫌でも覚えるしかなかったというのが正しい表現かもしれない。

そんな激痛にのた打ち回りながら覚えた「インターネットの心得」の中でも特に大切なのは「嫌なら見るな」(=気に入らないならブラウザ閉じろ)である。

これにはいくつかの意味が込められている。

インターネットの真理=嫌なら見るな

ものすごくネット老人的な事から先に申し上げるが、インターネット空間、すなわちWWW(World Wide Web)には、「そこにあるものは世界中の人々の共有財産である」という大事な理念がある。

その理念の元に、国境の垣根を超えてあらゆる人々と繋がる事ができる、それがWWWであり、インターネットであると、我々世代はそう教えられた(はずだ)。

したがって、インターネット空間とはある意味で「極度に表現の自由・言論の自由が具現化された場所である」と言えるのだ。良くも悪くもなのは重々承知だが、ひとまずそういう物だったのだとご理解いただきたい。

そういうルールの元に成り立っている世界だという前提をご理解いただいた上で、「もしもある時インターネット上でアナタにとって好ましくない情報・文章・絵などが目に入ってしまったら」、どう対処するのが正解なのか考えてみて欲しい。

もう見出しに書いてしまっているが、最も確実かつ "正しい" のは、嫌だと思ったら見ない事である。それが最も早くて確実で誰も不幸にならない。

何故そうすべきなのかと言うと、理由は色々とある。主だったものだけ並べてみると、ざっと次のようになるだろう。

『なぜ嫌なら見るなが最も正しいのか』
◇ 性別も年齢も国籍も違う大勢の人間が繋がっているのがネットであり、思想・宗教・価値観を統一することなど不可能だから
◇ 特定の誰かが嫌悪するコンテンツだけ排除するとなるとWWWの "共有" の理念から大きく外れてしまうから
◇ 容易に少数派の弾圧に直結してしまうため、泣く人間をなるべく減らす努力をすべきだから
◇ 自らの判断でブラウザを操作する以上に確実かつ手早い手段がないから

……という訳で、分かりやすくまとめると、「何のためにブラウザに閉じるボタンや戻るボタンが付いてると思ってんだボケ」という事である。

「嫌なら見るな」以上の対応が許されるケースがあるとすれば、それは法に反するほど問題のある言動・情報(誹謗中傷や殺害予告など)があった場合や、年齢認証が必要とされるコンテンツ(もしくは無修正や海賊版など違法な物)が、ゾーニングもされていない場所にアップされているケースくらいだろう。

もしそこまでの話なのであれば、「見ない」で済まさず警察なり弁護士なり、担当機関に相談すべきである。

だが、そこまでの話でないならば、「嫌なら見るな」以外の正解などないと言うしかない。

何故なら、「嫌なら見るな」では納得できないという場合、選択肢はかなり限られるが、どれも「発言者の口を力ずくで塞ぐ」といった暴力的なものばかりになるからだ。そうした手段は何を選ぶとしても非常に筋が悪く、ネットのルールどころか基本的人権の侵害にも繋がってしまう。

第一、ネットなんて誰がどんな思惑で使っているか分からない空間なのだから、そんな場所を自分の望む通りの価値観に染め上げられると考える事がナンセンス過ぎて笑えもしない。

20年も前には大勢いたよ、自分の意見をゴリ押しして、一切の反対意見を封じ込めようとするオッサン達が。それまで会社などの閉じた空間でパワハラ上等でブイブイ言わせてたジジイ共が、ネットという公平な場所に晒されて蜂の巣になって、自作自演による誘導も脅かしも全て失敗し、最終的に「訴えるぞ!」と大騒ぎするなんてケースを何度見たことか。

100人いれば100通りの価値観・美意識・正義がある訳で、それを認めず自分の思い通りにしようなど、思い上がりも甚だしい。インターネット空間なんてものを、自分の思う通りにコントロールしようとするのが大間違いなのであり、今で言えばそれをやろうとして世間の鼻つまみ者と化したのが、たとえば "反差別活動家" や "フェミニスト活動家" らである。

何度でも言ってやるが、法的根拠もないような状態ならば「嫌なら見るな」よ。それだけの話だろうが。

もっと "そもそも" の部分を見つめ直してみよう

フェミが過去に起こした放火事件は数あるが、その殆どが「嫌なら見るな」の一言で済ませられたイチャモンばかりである。

ところが、ターゲットになった企業や自治体などが簡単に頭を下げてしまい、創作物などを簡単に引っ込めるという愚策を繰り返した結果、フェミは味をしめ、「あっちにも燃やせる絵があるぞ!こっちにもあったぞ!」と、ネット放火魔として暴れまわるようになってしまった。

挙げ句に、そんな事ばかりやり続けて感覚が麻痺したのか、その凶刃は一般市民にも向けられるようになる。

先日のチョコレート炎上の一件を見るまでもなく、もはやフェミは末端の狂人達にブレーキをかけられず、罪なき一般市民を男女問わずリンチにかけるまでに劣化し尽くした。

これはもはやWWWうんぬん以前の話になるが、そもそも論として「自分に無関係な他人様に対してツベコベ言う」なんてこと自体がおかしいのだ。

冷静に実社会の中での話として考えて欲しいのだが、自分が危害を加えられた訳でもないのに、見ず知らずの他人をいきなり口汚く罵り始めるヤツなんて、異常者と判断するよりないだろう。具体的に例えるならば、電車の中で傘を振り回して突然何かと戦い出してしまう人がそれだ。

これについては、昔から報道の分野でもネットでも「ターゲットにしていいかどうか、公人か否か、公益性があるかないかで判断すべき」などと言われて来たのだが、いつしかそういう判断が失われてしまった。

まず「○○だから公人である、いや✕✕だから公人ではない」といった争点があった時代はすでに過去のもので、今や「目に付いたものは全てターゲット」という地獄のような有り様になってしまった。

そんな法よりも個人の感情が優先されている現状は明らかにおかしい。

他人様のやる事が法的にもその場のルール的にも特に問題がないのならば、言い方を変えると他人様の行動に制限を設けるほどの事ではないならば、例え嫌悪感を持ったとしても黙ってスルーするのが正解である。

それをいきなり相手に向かって掴みかかったり罵り出したりしたら、「社会から狂人として排除されるのはお前の方だよ」というお話でしかない。

インターネットという空間でも基本的にはそれと同じだし、WWWの理念がある以上は実社会以上に "自由" を優先せねばならない。それが気に入らないならネットを使うなよという事である。

こんな事を言うと「もう時代が違う」なんて言葉が返って来そうだが、私はそうは思わない。ネットを使う以上、WWW上で何かしら活動する以上、その理念や目指すべきものは共通認識として持っておかねばならない。

それを学ぶ気がない人間が、美味しいところだけ摘んで行くなよと思う。

みんなで守ろうインターネッツ

私が過去に攻撃対象とし、あちこちのメディアに寄稿してまで批判した相手はいくつかあるが、古くはネットウヨク、その次がしばき隊、そして今はフェミだと言える。

これら全てに共通しているのが「ネット空間を自分に都合よくコントロールしようとインチキばかりしていた」という点だ。

ネットで存在感を出したいなら、大勢から支持されるような言動をし続ければいい。もしくは割り切って悪人になり切ってしまうというのもアリだろう。

ところが、ネトウヨにしてもしばき隊にしてもフェミにしても、自作自演で自分達を多数に見せるとか、SNSなどで気に入らない相手に徒党を組んで襲いかかって黙らせるとか、看過できない暴走が多すぎた。

自分達の主張に自信があるならば、判断をすべてギャラリーに預ければいいだけだろう。なぜそういう堂々とした態度が取れないのか。なぜ「力ずくで」とか「SNSリンチで」なんてグロテスクな選択肢ばかり選ぶのか。

インターネットもSNSも戦場じゃないのよ。机上の空論、理想論と言われても、それでも心のどこかに「集合知っていいよね……」と淡い期待を持って使わせていただく、そんな空間なんだよ。

そういった理念の下に自治をしていかないと、何かあったらすぐに国家などより大きな権力の思惑が入り込んで来て「活動家などとは比べ物にならないほどの力で、みんな仲良く口を塞がれる事になる」からな。

と、インターネッツで悪い事ばかりして来た私が40過ぎてこんな事を真顔で書かねばならなくなるだなんて、世の中どうかしてると思う。

恥ずかしいからこんな事を言わすなよ。
公衆の面前でオ○ンチン出してる気分だよ。


※ 本文は以上です
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