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メモリアル松濤館第二章 御花に洋食屋さんがあった!?幻の一番館。

この度、柳川藩主立花邸 御花は、ホテル棟「松濤館」の全客室やロビーなどを大きく改修し、2025年1月にリニューアルオープンを予定しております。

リニューアルの内容やこれまでの御花の物語をまだ知らない!という方は、前回公開したこちらの記事からぜひご覧ください。

また、メモリアル松濤館第一章についてはこちらからご覧ください。

みなさま、実は御花が洋食屋さんを営業していた時代もあることをご存知でしょうか。

松濤館を建てた立花寛茂が昭和46年(1971)にオープンさせた、洋食屋さんについて紹介いたします。

昭和の観光ブームに乗るために寛茂が目をつけたのが、後に文化財としての価値が認められる「家政局」の改装です。

昭和の家政局の写真。

もともと家政局とは、伯爵立花家の財産管理などを担う家政機関の名称でした。その後も活用されていましたが、東宮御所を設計した建築家の方に、「この建物の構造は面白い」と評価されたことがあり、この建築を活用して何か新しいことができないか考えるようになります。

当時は料亭業や郷土料理のみだったため、寛茂は地元の方も観光の方も気軽に食事を楽しめる場所を作りたいと決意します。

「焼肉とイタリアンスナック 御花 一番館」オープン!!

そんなのあったの!?という方も多いのではと思うのですが、株式会社御花となった年と同じくして、現在の家政局(御役間)に作られたのがこの「焼肉とイタリアンスナック 御花一番館」です。「洋食屋」をやっていたことがあるとは聞いたことがあったのですが、「イタリアンナック」であったことはこの写真を見るまで知りませんでした。

なぜ「イタリアンスナック」と題したか聞いてみたのですが、「当時のおしゃれだったのでは」ということで、理由は覚えていないそうです。笑

オープン当時の写真。土壁が真っ白になっています!

現在の家政局は、伯爵家時代の頃に戻して修復されているため、黒色ですが、一度この時に白い外観に変更されています。この際に、骨組みは変わっていなかったため、文化財が生き残る結果を生むこととなりました。

イタリアンスナック一番館

立花家は明治時代には伯爵家だったことから、迎賓館として建てられた西洋館で洋食のおもてなしもしていました。

また、農業振興で世界中の野菜や果物の栽培・研究をしていたことから、西洋の野菜をいかに調理するかというのも試行錯誤していたようです。柳川では一番最初に洋食文化に触れていた一家であると言えますが、商売を始めてからは料亭業を売りにしていため、一番館で洋食を作るスタッフがいませんでした。

そこで、寛茂は当時つながりのあった長崎の「銀嶺(ぎんれい)」というお店にスタッフを修行に行かせます。銀嶺は昭和5年(1930年)に創業した古い洋食屋さんで、昭和の時代には日本を代表する作家や俳優、芸術家たちが訪れ、地元財界人やグルメに深く愛された銘店でした。現在は、長崎歴史文化博物館の館内に移転しましたが、お店の歴史は今も続いているようです。

一番館の名物料理

当時はカツカレーが絶品だったようで、作家・五木寛之が御花に滞在しながら作品を描いていた際に、当時の週刊誌で「カツカレーの春」という題で一番館のカツカレーを絶賛していた、なんて逸話もあるようです。

一番館で働いていたスタッフたち。

ここで人気を博し、愛された洋食メニューたちは、のちにオープンする松濤館に引き継がれていきます。松濤館では、オニオングラタンスープ、ミルクセーキ、そしてクラブハウスサンドイッチが人気だったようです。

そんなかつて愛されていたクラブハウスサンドを現在復刻しております!
ケチャップベースのチリソースがぴりりと効いた、上品でどこか懐かしい味わいです。
ランチで提供しておりますので、当時の歴史をぜひお召し上がりください。

御花で焼肉!?

1番館の2階はなんと、「焼肉屋」として活躍していました。初めてこの話を聞いた時は、御花と焼肉のイメージがかけ離れていたためびっくりしたのですが、16代当主の和雄がゴルフに行くたびに通っていた久留米の美味しい焼肉屋を参考にして、柳川でも焼き肉を楽しめるようにと開業したそうです。

この写真の右手にステンドグラスがありますが、これは伯爵家時代に農業で地元や国に貢献するという志の元誕生した、中山農事試験場に建てられていた洋館から移設してきたものだそうです。

文化財をその時代の流れに合わせてうまくフィットさせていくのが立花家らしさなのかもしれません。

立花家がDISCOVER JAPANのポスターに!

ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)とは、日本国有鉄道(国鉄)が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーン。個人旅行の拡大や女性旅行者の増加などの社会情勢の変化とマッチしたそうです。

1978年11月4日に山口百恵が歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN 2」が始まり、柳川も観光地の一つとして選ばれ、なんと立花家が家族揃って出演しているポスターが全国にプロモーションされていたようです。自ら広告塔となっていたのですね。
ちなみに、現在は史料館のガラスケースに飾られている江戸時代の貴重なお雛様がお舟に乗っています。

このプロモーションもあってか、寛茂の手腕で「御花」を訪れる観光客は増え続け、昭和56年(1981)はついに年間20万人を突破します!

元々観光地ではなかった柳川が、観光地として歩み始めました。御花では、結婚式のデラックス化や宿泊客の増加に対応するため、新たな建物の必要に迫られてきてついに松濤館へと繋がっていきます。

ぜひ次回もお楽しみに。

今回は、立花家17代立花寛茂へインタビューを行い、立花家史料館のこちらのブログを参考にさせていただきました。こちらもぜひ読んでみてください。

http://www.tachibana-museum.jp/blog/?p=9378

松濤館は6月末をもって休業いたします

ホテル棟「松濤館」はリニューアル工事のため、2024年6月末をもって休業いたします。次回は、松濤館の写真をたっぷりとお届けしたいと思っております。

<リニューアル工事期間>
内装工事:2024年7月1日〜2024年12月
リニューアルオープン:2025年1月予定

<リニューアル工事期間の営業について>
日帰り観光については引き続きご利用可能です。
ランチ営業(対月館にて)11:30 - 15:00(ラストイン14:00)
文化財見学/立花家史料館/お花小路(ギフトショップ)10時〜16時




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