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生と死の間には

2001年9月11日の同時多発テロのニュースを

盛岡行きの夜行バスの中で見た。

大学生の思い出の1ページ、
楽しい旅行のはじまりが、それだった。

旅行は楽しく終わったけど、

帰ってきた私は

アメリカのタリバンを擁するアフガニスタンへの報復攻撃に反対するデモ活動に

学生というカテゴリで初めて参加した。

何かしないといけないような焦りにかられて、
全く未知の世界に自分から飛び込んだのだった。

「デモで社会は変わらない」とも言われたし、
身の回りの人の反応は様々だった。

私はひたすら若くて、無知で、
自分のエネルギーの使い方を知らなかった。
デモに意味があるかはわからなかった。
でも、何かをせずにはいられなかった。

私の親が見聞きした全共闘世代のような暴力を伴う激しさはなく、全く平和的だったたものの、

なんというか、
組織活動自体が生来私に向いていないらしく、
根性もなく、
ほどなくしてフェードアウトするのだが、

短い間で、生涯の宝になる貴重な2つの学びを得た。

超大国の報復爆撃にさらされるアフガニスタンで命懸けの人道支援をつづける中村哲医師の活動を知ることが出来たことと、



ちゃんと登山の知識のある人のパーティに入れてもらって、冬山装備をして山に登ったことだ。


…あれ、なんで急に冬山?
それは私も当時誘われた時に思った。
そこの理由は全くやましいことはないのだが、
ここではあえて深く突っ込まない。

単なる「文化」だったのだと思う。

本格的な登山の装備は、そのまま災害時の装備となることを教えてくれたのはその人たちだった。

誘ってくれた女性のメンバーたちといくのが楽しそうだったから、という軽い気持ちで、

学校の春夏シーズンのジャージとスニーカーでの山での宿泊合宿や、父と晴天時超軽装で埼玉の低山ハイキング以外に山を知らなかった私が、

急に長野か山梨あたりのアルプス付近の冬山にテント一泊して登ることになったのだった。

我ながら好奇心が強すぎる。
私が親なら多分心配で胃が痛すぎる。
親も私も冬山登山に何の知識もなかったから、
出発を許されたのだろう。
知らぬが仏である。

誠に残念ながら今となってはその山の位置も名前も覚えていない。

ただ、その人たち曰く、そんなに高い山でも難しい山でもない、と言われていた気がする。

ただ、一緒のパーティーだった人が「このあと槍ヶ岳まで縦走する」と言っていた気がするので、
そこから程遠くない位置だったと思う。

登山を知らなかった私にとって、
雪山を重い装備を背負って何日もかけて登り下りする人がいたことも知らなかったので仰天したのだ。

これは本当に万能だからと教えられて、
学生としては大変高価だったモンベルのゴアテックスレインウェアと、
ゴアテックス素材の登山靴をどうにかセール品で購入し、
身体が冷えない肌着類アウター類をそろえて、
あとの装備は全部上げ膳据え膳で雪の残る山に連れて行ってもらった。

ちょうど平野では春の始まりこのくらいの季節だったような気がする。

雪はあるものの、深くはなく、
溶けた雪で滑る恐怖のほうがよく覚えている。

テントの中でも、
登るときも、
降りる時も、

今まで感じたことのない
「死の予感」を
感じた。

そんなに倫理的な危険な目にあったわけでなく、
それは
町で人間の設備に守られて育った私にとって、
雪山とは
「一歩間違えば死」
の場所だと知ったということだ。

ひたすら素直に山に慣れてる人たちの中で
疑いもせずにくっついて歩いてるだけだったのに、
気を抜けばここから落ちて死ぬんだ、
もしくは自分が引き金の落石や雪崩で下の人が死ぬかもしれない、
と思う瞬間は
あった。
(単なるビビりなだけなのかもしれないが)

どうして今回この記事を書こうかと思ったかというと、
「岳」という漫画を読んだからだ。

ミステリーでもサスペンスでも戦争ものでもないけど、
この山岳救助を描いた作中では

バンバン人が死ぬ。

なんの罪もない、善良な人でも容赦なく死ぬ。
大事な人がいても死ぬ。

理由はちょっと足を踏み外したとか、
ちょっとした勘違いとか、
ちょっとした慢心とか、
運の悪さとか、

そんな理由で死んでしまう。 

勿論その何倍もレスキューに救助されて無事に生還してるのだが、

そのどちらも等価の出来事として
生きのびた人にも、亡くなってしまった人にも
「よくがんばりましたね。」と主人公のレスキューボランティアである三歩(さんぽ)が声をかける。

暖かい筆致で
淡々と描いている。


そう、

たった一回の冬山登山でも、
私が感じたのは

生と死の間にあるのは
紙一重。ペラッペラの障子紙。
ささいなことで紙を突き抜けて、
死へ落ちる。

その感覚だったのかもしれない。

生と死の間を
簡単に越えられないような高い壁をつくっているのが人の住む町なのだとしたら、

山には生と死の間にあるものが、ほとんどない。

死から遠ざかるには、
知恵を絞り、装備を怠らず、計画を練り、五感を研ぎ澄まして、
「生命を守る強い意識」を持つことしかできない。

本当は町でだって起こり得る「予期せぬ死」だけど、
死を意識する場面が多いのは
圧倒的に山の中だ。

そして同時に
圧倒的に
「生」を実感するのも山の中だ。

「死なないように」高い壁をつくると、
自動的に生きてることも感じられなくなってくるのかもしれない。

今は冬山に登らなくても急峻な地形の高知にいれば「死」を意識することは難しくないように思う。

それでも、やはり強烈に死を隣に見たのは、
あの冬山の体験だったと、
「岳」を読んで思い出した。

無知で、怖いもの知らずの若さのおかげで、
ひとりの力では知り得ない山の世界を垣間見ることができたことに
感謝している。

お世話になった人とはもうだれとも交流がないが、
本当に親身に安全を守ってくれたのが今わかる。
さすが平和を希求して行動しつづける人たちだった。

あの時買ったモンベルのレインウェアはもう20年たってゴアテックスがはげたけど、軽い雨具として、作業着として充分元をとりつづけている。

教えは正しかった。












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