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土地の記憶を掘る意味

人の記憶は、
人が死ねば途絶えます。

親に縁がなく、
家族史がない方も大勢いるでしょう。

逆に、家族に恵まれて自分がどこから来たのかなど考える必要もない方も大勢いるでしょう。

その人が
家族史を持っているか持っていないかは、
単なる偶然ですが、

そこに存在しているということは、
必ず無数の人間と時代背景と土地の風土が絡んでいることなのです。

個人の記憶をたどるのは不確かで限界もありますが、
その人を生み出し、育んだのは
決して2人の親だけでも、
その家庭だけでもありません。

土地の風土と時代背景は、
今の時代少し努力すれば、
把握していける気がしています。

実際その人が行ったことがなくても、
親戚がいるか定かでないけど、
生まれ育った同じ文化圏の土地の記憶を掘ることで、
土地の雰囲気がわかるのではないか、
アイデンティティにつながるものがあるのではないか、
家族史に準じるような精神的なよりどころができるのでは

と、仮説を立てています。

これは脱線ですが、

変な話、
やっぱり「見えないもの」って
いると思うんです。

私、全然、霊が見えたり、聞こえたりしないんですけど。

そうじゃなきゃ、
高知県の人って、

もっと柵のない用水に落ちて

もっとえらいことになってると思いますよ。
(と、こちらに来て強く思ってます。)

なんとなく守ってもらってるような、
そんなものがその土地その土地にいる気がしてならないのです。

母の土地にもきっとそういうのがいて、
何となくさみしい子ども時代だった母を見守ってくれて、
今もいるのではないのか、と

そしてそれに会ってみたいと、
空想しています。


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