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カドを立てない難しさ

こう見えて喧嘩っぱやい。

とまではいかない。

「えっ」と思うことがあっても、

とりあえず自分の胸に引き取って

ああでもない、こうでもないとぐるぐる言葉を探した挙げ句、

最終的に、消極的でも、なんらかの表現はする方の人間でありたいと思って生きている。


喧嘩っぱやい方がハッキリスッキリしていいのかもしれないとも思う。

結構、「面倒だな自分。」と思うことがわりとある。

借りてる畑にいると、

コミニケーションをとろうとしてくださる人は、

全員、人生の先輩であり、畑仕事の先輩でもある。

丹精して畑をする姿を尊敬してるし、

やり方を全く真似したいとは思わなくても、

積み上げてきたものを心から尊重したいと思う。


こうしたらいい、ああしたらいい、も、

全部、まっこと純粋なる親切心であることは

痛いくらいわかる。


この、

知らない人から道を訊かれる率の高い

サンリオ系の顔の(目が点系のキャラクター)

ヘラヘラと頭もあまり良くなさそうで若造(?)である私が

無い頭を絞りながらも、

自分でやってみようとする姿は

先輩からしてみれば

危なかっしくて見てられない、というのも、

あるんだろうけど、


どこまで言えば、

「本当に大丈夫です!」が伝わるのかしら。


喧嘩をしたいわけではないし、

畑に対する自分の主張を通したいわけでもない。

私のはまだ「ききかじったものをやってみたい」、という実験段階で、

しかも既存の菜園知識からみると、結構、

まだまだ異端の類だ。

説明しようにもまず自分がやってみないことにはどうしようもない。

だからのらりくらりとカドを立てないように、

かわすのだけど、

どうしてそんなプレゼンさせたがるのだろう。

私、迷惑かけてないから、自分の思う通りでいいと思う。

大変になっても、困るの私だし。

どうしてそんなに、食い下がるのよう。


愛情なのはわかってる。

でも娘でも孫でもないし、

もし、私がヤヌスの鏡みたいに(フジテレビのドラマ)

表向きサンリオキャラから心に住んでるヤンキーキャラになってしまったら

関係修復が難しくなる。

距離感は大事にしてほしいな、

と思う今日この頃。

そして、私もヤンキーキャラまでいかなくても、

表現のあり方を変えていく時期なのかもしれないな、

と思う今日この頃。
















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