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インディアン嘘つかない

ウエスタン村といえば、埼玉に住んでいた同世代の人は

「イーンディアン嘘つかない、嘘つかない♪」というテーマソングを覚えているかもしれない。

私のようにウエスタン村に行ったことなくても、どこにあるか知らなくても、あの歌を歌える人は多いはずだ。

そしてインディアン、いわゆるネイティブアメリカンについての印象が

あのCMのような頭に羽、顔にペイント、

なんか野蛮そうで怖いなど、表面的なものどまりの人も、多いかもしれない。


自分の国の歴史にも先住民にも興味が持てない人が多い今の日本で、

よその国の先住民の背景に思いを馳せることができるのは、

なんかよくわかんないけど縁がある、としかいいようがないのかもしれない。

私もなんかよくわかんないけど、急に気になり始めてしまったのだ。

もちろんなんの糸口もないわけではなく、

私が敬愛している子どもの幼稚園時代の先輩ママさんが

ネイティブアメリカンとご縁がある方で、

その方がSNSでインディアンの本の写真を最近アップしていた。

熱い書評とかではなく、背表紙で字だけみて、インテリアの本だと思ったら、インディアンの本だった。老眼が…笑)みたいな。

その時は、うふふ、とみていたが、

先週あたりから急にインディアンのことを調べたくなってしまったのだ。

今までいくらでもインディアンに興味持てる機会は目の前にながれてきていたのに、

全然スルーしてきた。のに、急に、どうした、私、と少々戸惑っている。


調べる、といってもまずはウィキペディアになる。

今は、本当に情報にアクセスしやすくなった。

(真偽を確かめるには、受け取り手としての慎重さが必要だけれども)


さらっとウィキペディアを読むだけでも、

今回のインディアンに限定しても

自分がどんなに無知で、情報操作されていたのか、わかる。

歴史は、強者、征服者の目線によって後世に残す書物がつくられていく。

負けた方の記録は、消されていくのみだ。

自分たちの正当性をゆるがすような物語を、

政府が発信するメディアが流すはずもない。

今だって、バンバン消されている。

テレビとラジオと新聞だけだと、気がつかない。



その大前提を、歴史の授業を始める前に、

教職の皆さんはぜひ生徒さんたちに教えてあげてほしいと思う。

今の日本だったら、まだ、それくらいは言えるはずだ。

特高警察には連れていかれないだろう。


ネイティブアメリカンに関するウィキペディアを読むだけでも、

本当に野蛮で恐ろしいのは、何なのか、

自分の思い込みを振り返らざるを得なくなる。



色んな部族がいる。

アメリカ大陸全土に、先住民は、いた。

USAのウエスタンだけに、住んでいたわけではない。

冷静に考えればわかるはずだ。


戦いを好む部族、平和を好む部族、色々いる。

人間だもの。

それでも、ヨーロッパ大陸からの入植者がくる以前は、

それぞれの文化で、自然からの恵みを享けることで、暮らしていた。

その人たちは

「今日より明日がいい日でありますように」

とは祈らず、

「明日も今日と同じ日が続きますように」と

祈るそうで。

文明などなくても、生活が満ちていたことがわかる。

時計がなくても、なんの障りもなかった。

空を見上げればいいと。

時を正確に測る価値が、

ネイティブアメリカンの文化には、なかったそうだ。


明日をよくするために、今日を犠牲にする。

明日をよくするために、今日は我慢をする。

それが悪とは、間違ってるとは言わない。


でも、私たちが

野蛮だと思い込まされてせせら笑っていたもののなかに、

地球で生きるのに幸せであるための

もっと違う選択肢があるんじゃないかと、

最近思う。








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