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しあわせに遠慮しない自分


私はアダルチチルドレンの項目で言うと
見返りを一切求めずに良かれと思って尽くしまくるイネイブラーに該当します。

誰かというか。。主に愛されたいがゆえに
愛されていると安心したいがために
好きな人に尽くしまくるのがイネイブラーなのですが、

目の前の人の愛情が欲しくて
安心したくて、どんなに自分を犠牲にしても
それを犠牲とも思わず
なんなら相手が喜んでもらえるなら
私も嬉しい!!!なんて気持ちで
とにかく安心と愛情欲しさに尽くすという症状が
大きく人生を狂わせるなと思ってます。

今から10年、15年前が1番ひどい状態で
夏場、どんなに喉が渇いても
ペットボトル一つ、自分のために買うことに罪悪感があったり
友達とランチをすることにも罪悪感があったり
美容院やアクセサリー、化粧品など
何も欲しくない状態でした。

でも愛されたいと願う相手には
いくらでも働いたお金を渡してしまったり
お料理を作ったり
身の回りのお世話をするというか。。
完全に召使い状態。。

当時の私はそれが愛情だと思って
懸命に尽くしてますが
悪く言えば自分そっちのけで人の面倒しか見れない異常者でした。
いい言葉でいったら良妻賢母です。

でも私自身は置いてけぼり。。
私は愛されて安心した経験が薄いために
私を大切にしてくれる人を見る目と言うか
人を見極められないので
『私を選んでくれたひと』を心の底からリスペクトしてどんなに粗末にされても、邪険に扱われても、
愛されようと努力をしてしまっていたんですけど

今から10年ほど前ですかね。
当時の旦那さんが蒸発という形で
私たちの前から消えたことで

私は自分の力で生きていかないといけない
子どもたちを育てないといけない
強制的に人生を変えないといけない環境になってしまって
時間こそかかりましたが
ウェディングフォトグラファーという
自分の中の天職に出会えましたし 
今は幸せです。
でも、幸せだからこそ過去の自分を考えるんです

あー。ずいぶん自分の幸せに遠慮してたなぁ。。って。
わたし。。もっと自分を可愛がってよかったな。
ずいぶん自分のことを粗末にしてしまったなぁ。。って。

私の幸せなんて
小さなものだったんです。

○自販機で新しいジュースを見つけたら飲んでみる
○子どもたちの誕生日には少しお高い焼肉屋さんに行く
○薬局で新しいパックを買ったり、新しい入浴剤を子どもたちと使う
○いつもの散歩道を遠回りして
途中で休憩に喫茶店に入ってみる
○少しお高いコーヒー豆を買ってみる

数えたらキリがないぐらいですけど
本当にすぐ叶えられるような
小さな幸せのカケラ。。

それすら自分で自分に叶えてあげられない
精神状態だった過去の自分を労わりたいです。

幸せを感じることに遠慮していた私。
そうまでして何がしたかったかって言ったら
ただ、『大切にされたかった』『笑顔で隣にいてほしかった』
『愛されたかった』『優しくされたかった』『同じ思い出が欲しかった』
なんというか。。当たり前で願いにもならない願いを本気で持ってました

愛着に大きな傷がある人は
この感覚がすごくわかるのではないかなぁと
勝手に思ってます。

実際、旦那さんが蒸発したあと、
当時は大変でしたが
子どもたちはいつも私の味方でした。

写真家になりたいと言った時も
『ママ!素敵だね!』って言ってくれた

その後出会った人も、
私の背中を押してくれたり
私の知らない世界に手引きをしてくれるような人ばかり。。

私は見たことも感じたこともない眩しい光のような世界に
自分の足で向かって歩むことができたこと。。
そのままの私でいいと認めてくれたこと。。
出会えた人たちにすごく感謝してます。

『自分の幸せに遠慮しない』
愛着に傷のある人はなかなかその一歩が踏み出せないかもしれません。。

でもぜひ。いつも『ま、いっか』で気づいていないふりをしてる自分の心に気がついて
自分の要望にも寄り添ってあげてください。

私も含めて。。愛着に問題があっても
たくさんの幸せを感じて欲しいです。







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