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家出した母ちゃん その2 〜家を借りる〜

おばちゃんのあったかい手が 私の耳に触れた
どうやら耳の産毛を剃ってくれるらしい
こんもりとした泡と取ると 綺麗に耳に泡を撫でつけてくれている
出会って5分で だいぶディープな話を聴いてしまった

どんな返事をしていいか迷っているが
おばちゃんは特に気にする様子もなく 話し続けている
唾を飛ばす勢いで話しながらも おばちゃんの手が止まる様子はない「ねえ、おばちゃん…。お願いだから、耳だけは落とさないでくれ」と心の中で必死に呟いている

おばちゃんの話をまとめるとこうだ
小学生の男児2人を抱え 毎日の育児に奮闘する中
夫の帰りも毎日遅く なんで私ばっかり やるべきことがたくさん
毎日がみがみと子どもたちを 叱ってばかり
ある日 その生活に耐えきれなくなったおばちゃんは
こんな自分が子ども二人を育てられるわけがないと…
未熟な自分を立て直そうと リュックひとつで家を飛び出したんだそうな

手元のお金では何日もホテルに泊まることもできず
友達の家に泊めてもらい、しばらくすると1人でアパートを契約し
人生初めての一人暮らしをしたんだそうな

おばちゃんは、子どものころから過保護に育てられたらしい
その日家を飛び出すまで自分で仕事をすることも 
一人で暮らしをしてみることも経験してこなかったせいで
アパートを借り 家財をそろえることにも相当苦労をしたらしい
そこで初めて 夫が自分や家族を守ってきてくれたことに気が付いたそうな

しかし 一度離れてしまった家族は戻ることはなく
子どもはというと 残された夫と義母と暮らした
離婚が成立し親権は夫が持つことに

そんなおばちゃんも たとえ子どもとは一緒に暮らしていなくても
母親としてできる限りのことはしようと仕事を始めた
「子どもを捨てたんだってよ」とママ友に陰口を叩かれようが
学校行事にはきちんと顔を出し 子どもとこっそり公園で待ち合わせて
話をしたりしたこともあったそう

次男が中学生になった頃、「母ちゃんと暮らしたい」と言ってくれ
次男とおばちゃんは、アパートで同居を始めたそうな

幼いころ母親に十分に甘えてこれなかった次男と
数年間だけだが一緒に暮らすことができたそう

「家族みんなで暮らすなんていう当たり前のことをしてやれなかった。普通の家庭を築いてこられなかった、ダメな母ちゃんだった。でも、親がこんなんだと、子どもはしっかりするから不思議だよね。今じゃね、息子に母ちゃんそれは社会で通用しないんじゃないか・・・なぁんて言われるんだから、笑っちゃうでしょ」と言いながら、また泣き笑いしている

おばちゃんのテンションは上がったり下がったりしているが       今のところ、耳や顔は無傷のようだ あんな夢中になってしゃべりながらも 腕はさすがである

この春 その次男が大学に入学したそうだ
「ようやく肩の荷が降りたんだ…。私は悪い例だからね!な〜んの参考にもならないねっ!ガハハ。次の世代は繰り返さないように。そういう思いで話してる」と笑いながら話すおばちゃん

「私は子ども一人は育てられたんだけど、二人は無理だったんだよ。二人は、育てられなかった」さっきまで笑いながら話していたおばちゃんの声がなんだか少し沈んでいた

「二人は、育てられなかった」の言葉が 
剃ってもらった耳の奥に 張り付いた

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