学ぶのが先か、旅に出るのが先か
やっぱり新幹線はいい
何年ぶりかに、新幹線に乗る。
夏の足音が大きくなるのとは逆に、近ごろ私の懐は寒風吹きすさぶので、移動手段はもっぱら、LCCあるいは、高速バスに慣れきっている。
昭和30年代生まれの父に、ZOOMという文明の利器はおそらく難しかったのであろう。
新幹線代を出すからと、条件付きで、実家の経営する会社の支社がある埼玉まで足を延ばすことになった。
鳴かず飛ばずのライター業なんてものを初めて、そろそろ2カ月。仙台と片田舎の往復にも慣れてきたが、やはり死活問題は時間の確保である。
数件案件を抱えている身としては正直、オンラインで勘弁してほしいと直前までお尻の重みを感じていたが、いざ缶ビール片手に乗ってみると、やはり新幹線はいいなんて、手のひらを反す。
財布が違うからとわかった瞬間、調子のいいことこの上ない。
旅の醍醐味
さて、北米、ヨーロッパ、直近だと、熊本や北海道と、いっちょ前に旅慣れてきた身として、旅の醍醐味というものが出てきた。
移動中、前の席の網ポケットに入っているフリーペーパーを読むことである。
最近は、やれSEOだ、検索キーワードだと、商業的な文章ばかりに目を通していることが多いせいか、なおのこと紙媒体の文章を読む機会が貴重に思えるようになった。
今この記事を書いているときのJR東日本の冊子は、『トランヴェール』という。
東北新幹線よろしく、特集は山形と福島の明治建築だ。
特に建築に思い入れはないが、最初のページを数枚繰ると、吉田松陰の著した『東北遊日記』に関するエッセイが目にとまった。
脱藩して東北を巡った松陰
今の私は29歳と半年。吉田松陰が、外来の船に交渉に渡った罪で刑死したのも、ちょうど29歳の年である。
偉業とされる「松下村塾」が話題にされることが多いため、彼の人生においてスポットライトが当たりやすいのは20代後半だが、20代前半、彼はよく旅をしたらしい。
東北へ行くときは、藩からの許可が友人との出発日に間に合わないからと、脱藩までしたそうだ。
交通手段は限られ、書物も少なく、インターネットもない時代の彼らにとって、それほど外の世界への好奇心は大きかったのだろう。
大学で歴史を専攻している間、彼には全く興味を持たなかったが、この冊子をきっかけに、旅行記を読んでみようと思った。
旅でしか学べないもの
松陰は『東北遊日記』の中で、こう述べているらしい。
「人は、学んでから旅に出るというが、自分は旅に出てから学ぶタイプだ」と。
歴史の偉人に同意するのもおこがましいが、私もそうだと思える。
今まで、学んでから旅に出たことは、ただ一度。
カナダに渡航する前に、ツールになりえる英語を鍛えてから渡航した。
ただ、それはあくまでツールを身に着けたにすぎず、事前に学ぶことは何も考えていなかった。
向こう見ずな性格は生来のものだと、半ばあきらめがついている。
旅に出ることはつまるところ、ノーブレーキで壁につっこむことかもしれない。
カナダから、友人のいるアメリカへ飛ぶ際、並んだにもかかわらず飛行機のラゲッジゲートがしまり、陸路で16時間かけて、自分以外全員黒人のバスターミナルで夜を明かすこともあり得る。
実際、起こった。
松陰がどうだったかはまだ知りえないが、私の場合、とにかく旅に出ると、そういうトラブルと頻繁に相まみえる。
実家の関西を飛び出し、東北でライター業などやっているのも、これからくるトラブルの予兆なのかもしれない。
旅を続けるには
さて、そんな考えを逡巡させられる、不思議な力が新幹線にはある。
当初、ZOOMでしか見たくないと思っていた父親の顔も、この地球上でもっとも安全な乗り物の上では、懐かしい顔のように思えてくる。
移動時間は唾棄すべきものだと思っていたが、たまに環境を変えながら、こうして執筆するのも頭が整理されるので悪くない。
こうした考えも、学びだといえるなら、やはり私は松陰と同じく、学ぶんでから旅に出るのではなく、旅に出てから学ぶタイプなのである。
父の顔を見るというミッションを経て、今回の旅が終わるまで、私が学べるものは何か。
色眼鏡を準備しよう。
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