それでも前へ進め①
睦月
警報が出ている雪の日 正午前 母が逝った。
入院中で主治医から何度も病状説明を受けていたので臨終が近づいていると病院から連絡をもらった姉から慌てたように電話があっても妙に冷静だったように思う。
「ああ~そろそろだと思ってたわぁ~。」
私の方が先に病室へ到着した。
母に話しかけると微かに「ふう」と声を出した。少しして到着した姉と看護師が今夜の付き添いの話をしているが
「今夜の付き添いって・・・これ、一時間持たないだろうよぉ~~」
私はそう心の中で確信していたが言葉には出さなかった。
案の定、30分後に母はす~~~っと旅立っていった。
前もって相談していた葬儀会社に連絡し姉と共に裏口から出てくる母を待つ。
葬儀社の方が「明日は友引で・・・」と申し訳なさそうに問いかける。
「まったく問題ないです。明日の葬儀で進めて下さい。」私がそう答えると安堵の表情を浮かべた。
友引の翌日は葬儀場も大混雑になることは容易に想像できる。
それに以前の打ち合わせで必要最低限の費用で賄って頂くようにお願いしていたので安置室の利用時間が一日でも伸びると結構な追加料金が発生することにお気遣い頂いたのかもしれない。
「今時は暦や縁起を気になさらない御遺族の方が多いです。」
「お気に入りのぬいぐるみ等を一緒に入れて差し上げると良いようです。」
などと日常ではあまり聞くことの無い話が新鮮で会話が弾んでしまった。
姉は普段より大人しく時々こちらの会話に加わったり微笑を浮かべたり・・・でも伏し目がちで悲しい目をしていた。
そうだよね~・・・
たぶん姉のこの態度が母親を亡くした娘の通常の反応で間違いないのだと思う。
いや、もっと号泣してショックで立ち上がれない人だっているだろう。
私は母がいなくなったことに関して悲しみや寂しさが殆ど無い。
それどころか、下顎呼吸となり段々とコト切れていく母親へ冷徹な視線を投げ続けていた非情な娘だ。
エンゼルケアを受けシーツにすっぽりくるまれた母が出てきた。
お気に入りだったらしいパジャマを着て毛布ブランケットが掛けてあったが両方とも私が購入したモノだ。
病院に持って行った時、そのパジャマとブランケットに視線を向けることもせず「そんなモノはいらん!持って帰れ!」と私を怒鳴りつけた。
母の患った病気特有の言動だとわかっていても、怒りを抑えることに当時は相当なパワーを使った。
口ではぞんざいな態度をとっていても心の中では嬉しかったんだね…って感動の涙の一粒でもこぼす場面なのだろうが、私の心にはもう白々とした感情しか残っていない。
お気に入りだった?なにが?
心の病気と認知症で長期入院
主治医の先生や医療スタッフの皆様にはたくさん迷惑をかけたであろう。
最期まで寄り添って頂いて、いくら感謝しても足りない。
雪が残っているアスファルトにストレッチャーの車輪がツルツル滑り,葬儀社の車に乗せるのに少し手間取った。
今夜から明日にかけて雪の警報が出ている。
母は外面を気にする割には他者が自分の言動で困惑する姿にほくそ笑む
そういうタイプの人間だった。
「最期の最期まで人の手を煩わせやがって」
口にこそ出さなかったが…正直な想い。
今の私は相当嫌な眼つきをしているに違いない。
コロナ禍でマスクが必須で帽子を深々と被っていたことが功を奏した。
心中を悟られないように病院の皆様には頭を下げた状態で丁寧に最後の挨拶とお礼を述べた。
「お気を落とされないように・・・」先生からお言葉を頂いた。
お心遣い痛み入ります。
姉と今後のスケジュールを軽く話し合いそそくさとマイカーに乗り込んだ。
隣に止めた姉の車を見ると運転席で俯いている姿があった。
泣いているんだろう・・・
そうだよ。当たり前だよ。姉の行動はとことんスタンダードだ。
私は母親の死に対し当たり前に涙を流せる姉が羨ましいと思っていた。
車を走らせると前方に母が乗った葬儀社の車が見えた。
黒い車体は走りなれた道路を異質なモノへと変化させているように感じた。
私は説明のし難いイラつきを覚え、深呼吸をして我が心を自制した。
子供の頃から両親に対して何度も深呼吸で我が心を自制してきた。
慣れたものだ。
それでも若干の気怠さはぬぐい切れず前方を走る黒い車体を睨みつける。
そんな灰色の心を抱えながらセレモニーホールへと向かったのだった。
喪主は私。
一連のことを滞りなく済ませ、小さな陶器の壺へと納まった母を菩提寺へと運ぶ。
「親が生きてる時のことは私一人が充分果たしたから、あの世の住人になった後のことは全てお任せします。」
この取り決め通りに後のことは姉に託した。
母の死に対して涙の一つも零すことのなかった私を冷たい娘と見る者もいるだろう。
どう見られても構わない。
両親が遺した負債を返していかなくてはいけない理不尽な現実。
親の間違った愛情表現で満たされず鬱積してしまったインナーチャイルド。
私はこれから自分が向き合っていかなくてはいけないコトの重さを充分理解している。
私は私の人生を生きていく。
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