見出し画像

諦めを必要だと知った私は、 知らなかった私には勝てない。

「ライブ行くためにダイエットする」


私はいつから 誰か のために、 何か のために、ダイエットをしようとは思わなくなったのだろう。
いつから自分を受け入れられるようになったのだろう。

ーー

私は大人になったのだろうか。

自己肯定感の高まり・安定と引き換えと共に何かを無くした感じがした。

「これじゃない」と何度も取っ替え引っ替えしていたあの頃。
血だらけの海に染まっていた。
痛みを伴う激しい自己嫌悪、それはあの時にしかできないことだったのかもしれない。

私は大人になったのだろうか。

「全部、全部私じゃん」と思えるようになったのは時間の流れなのか、自分の何かしらの努力なのか。

いきなりとも、唐突とも言えなく、
ふと鏡を見た時に、教室にいる時に感じたり感じなくなったりして”自分が自分”となった。

鏡に映る赤色の頬。
ニキビも可愛いじゃんって思えたあの日、
そんな姿も受けいれるようになった自分にあからさま過ぎて気持ち悪いなとも思った。


私は大人になったのだろうか。

写真に写る自分を見て、「こんなんじゃない」と思わなくなったのはいつの日だったのかわからない。

最初に思った時よりも最後に思った時の記憶の方がない。それは自然なことなのだろう。

こんなに太ってない、こんな風に見えてるの?可愛くない。あの子の方が数倍可愛い。
そんなことを思って卑屈になった日が懐かしい。


0.2キロの変化に一喜一憂して、
昨日よりも理想に近づいた自分をちょっと好きになれたりして日が過ぎていった。

上昇志向だと言ったら言葉はいいよな。
今の自分を否定して、どこまで行っても満足出来なくて、自分の評価基準なんてまだ確率してなくて。

だから 誰か の「いいね」を必死に求めていた。

平凡にみんなのいいねが欲しかった。
自信がなかったから。安心が欲しかった。

いつからだろうか。
誰か の「いいね」を求めなくなったのは。


これは、もしかしたら諦めなのかもしれない。
求め続ける 痛さ に耐えられなくなったのかもしれない。

それは弱さなのだろうか、 強さなのだろうか。
それって正解なのだろうか。よくわからない。



「絶対違う」と自分の 正義を 正解を必死に
信じれたあの頃は、痛くてまぶしい。

諦めを必要だと知った私は、
知らなかった私には勝てない。



#コラム #学生 #思春期

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?