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天才肌と言われて、思うこと



「◯△!*⊿なんですね。」

なんて言ってるか分からなくて、聞き直した。
それでも、はっきりと聞き取れなかった言葉。
もう一度聞き直すと、今度は聞こえた。

「天才肌なんですね。」

自分が天才と自覚してたら、すんなり聞き取れたのだろう。でも英語のリスニングみたいに注意深く聞かないと聞き取れなかった。
私は自分のことを天才だと思っていないらしい。


私は天才と呼ばれる人が好きで、小中学生の頃は伝記をよく読んでいた。自分の知らない世界で生きて、発想も行動力も桁違いで、楽しかった。

映画も、天才が出てくるを好む。
僕と世界の方程式、gifted、博士と彼女のセオリー、イミテーションゲーム、パッチアダムスなどの映画はお気に入りだ。

今の時代で言えば私はスティーブ・ジョブズが結構好き。ポケットに何千曲も入れるiPodを発明しながらもお風呂に入らないから臭くて周りに嫌われてたり、強いこだわりを持ってたこととか。

天才がいたこと、いることを感じるとこの世も捨てたもんじゃないよなと思う。今に、これからに期待できる。私が想像できない世界ができることに。

それに天才性を持つ人は日常生活で何か欠損していることが多い。安心する。人間だなーって。

ーー


「天才」ね。言葉にしたらいいよね。
なれるなら、天才になりたいけど孤独が伴うよね。

本当の天才からしたら私のレベルじゃ凡人だし、
凡人というか一般的な人からしたら、お前は異端だと言われ、じゃあ私は何なのと思って、何年も天才と凡人の間をふらふらしてる。



私って何だろうね。
何かにハマれば、社会を動かすリーダーとか発明家とかになれてもしかしたら必要とされる人間になるのかもしれないけど、不安定な位置で所属意識を得られずメンタルやられたら、自ら死を選ぶかもね。究極のところ。


でも、私の死生観は「死はゴール」なので
自ら選ばないかな。

死にたくても死ねなかった時があるからさ。


ーー



人によるけど、私を「すごい人」と捉える人がいる。

不登校から生徒会長になったり、
クラス最底辺からクラス1位になったり、
読書感想文書いたら学校代表になったりとか、
全国国試模試で6位になったり、偏差値70取ったり、
なんとなく出た大会で、県代表になって全国大会出たり、芸能人と会ってみたいという思いでライター受けたら40倍の倍率の中合格して、取材を経験したりとか

「特別」と言えば、それを経験してる。


俗に頭がいいと言われるようになったのも、強い不安感から勉強に集中してたからで、その質の高さは特性を持ってたからで、まあそのせいで不安神経症になったし強迫症状に悩んだしうつ症状にもなったりしたんだけど。今も服薬ありきで生きてるし。


いい面だけ見れば、いいものを持ってるように見えるよね。恵まれてるように思うよね。



季節的なものなのか、仕事詰め過ぎてなのかわからないけど、最近心荒んでる気がする。




ーー

「天才」と「障害」って紙一重



発達障害と知った途端上から目線でくる奴なんなん?
人数多いだけで、少数派を排除しようとしてくるけど、フルパワーで自分の能力にフォーカスしたらそんな人ぶっ潰せるかもしれない。

厨二病的かもしれないけど、世の中に排除され孤独を感じてる何か圧倒的に欠落してて何かに圧倒的に長けてる人たちが集まって長所だけを使ったら、「当たり前」をひっくり返すよなと思う。まあコミュニケーション能力がないので、超優秀なファシリテーターいないと実現しないけど。


日常生活を送るためには抑えこまないといけない能力があるわけで、
私だったら集中しちゃうと簡単にゾーンに入っちゃって電車もバスも気づいたら降り忘れてるから、集中しないことに意識を持っていく。生活するためにね。


それに集中してるとすごく敏感になるから、日常生活には向かない。
だから、いつか自分が持つ能力をフル活用できる場所ができたら、楽しくて倒れるまでやっちゃうんだろうな。そんな環境に身を置けることを願ってる。



発達障害のラベルを見ただけで、排除してくる人も、経歴を見たら、手のひら返したようなことを言ってくるんだろうか。それか、学生だから評価されたんでしょ。社会に出たら使えないよと言ってくるだろうか。

どちらにせよ、腹立たしいよな。


私が過去の経歴を出して、発達障害の立場を広げていきたくないのは天才的な才能を持った発達障害と、そうでない発達障害の分断ができてしまうのを危惧してるから。才能を持っていたら社会に歓迎されて、そうでなかったら排除って都合良過ぎないか。

だから、私は今の世の中には歓迎されない能力や今は上手く生きれない人が構造変容によって歓迎されるような仕組みづくりについて考えてる。

それは、発達障害にだけ言えることではなく、加齢に伴う身体機能の低下も含まれるから、他人ごとのように思っていた人もいずれ当事者になる。今大丈夫だからとしてもいつ事故に遭うかわからないし、いつ疾患が見つかるかわからない。


自分は大丈夫だから、気に食わない人を排除する思考は、今の疾患や障害を持つ人だけでなく、いずれ自分の首を絞めることになる。


今だけを見て排除しないで欲しいし、疾患や障害を持っていても持ったまま生きれる仕組みづくりにもっと関心を持ってもらいたいな。




ーー


今年、出願資格得れたら大学院を受ける。

落ちたら私ってやっぱり天才じゃないよねと思えるし
、受かったら受かったなりにもしかしたら天才なのかもしれないと思える。

院に受かれば孤独を感じず、好きなだけ知的好奇心を満たせるのだと思うととてもワクワクするし、縁がなければ今できることを淡々とやっていくだけ。
環境に一喜一憂するほど私はエネルギッシュでないのでね。



今でも私は凡庸と思いたし、普遍的だと思いたい。
多数派にいるってだけで、意見を突っぱねられることもなければ、唐突に突きつけられる孤独感もないだろう。

帰属意識がほしい。
いつまで、この感覚と生きていくのだろうか。
ただ、精神的安全基地が欲しい。


2021/6/25に書いたものを今更アップしました。

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