【第34話】高校の卒業証書をもらえてない話
お金が無いとしても、心まで貧乏にだけはなってはいけない。
貧乏、というのは、”何かが足りない”状態のことだけを言うのではない。「すでに持っているものの価値を認められない」ことが、本当の”貧乏”なんだと思う。
例えば、お金のことでやきもきイライラすること。お金がないことを「不幸」に直結させて考えること。楽しそうな人を見て妬み、八つ当たりすること。挙げだせばきりがないが、お金があっても無くても、こんな人を見て、あなたは「あの人、幸せそうやな」と感じるだろうか。
実のところ私は、高校の卒業証書とアルバムを未だ受け取っていない。いや、正しくは”受け取れて”いない。今年30歳を迎えるのでかれこれ12年程、私の青春の一部は通っていた高校に取り残されていることになる。
「おーい、Mai。放課後、話あるから職員室に来てくれるか?」
高校卒業間近のある日、担任にそう呼びとめられた。虫の知らせというやつなのか、先生の気さくな態度に、逆に何となく良くないことが待っていそうな予感がした。放課後、職員室に向かう私の足取りは重かった。
先生と対面するや否や、先の予感は事実に変わってしまう。
「すごい言いにくいんやけど、気を悪くせんと聞いてくれな?卒業式の日、卒業証書とアルバムをお前に渡すけど、あとで返してほしんや。」
出来の悪かった私のことだ。一瞬、留年!?と疑ったが、何とか気を持ち直す。
「実は、Maiのご両親が学費を払えてないんや。ご両親にも話して、学費を待っている状態やねんけど、卒業式までに用意するのは難しいみたいやわ。式までに払えんかった場合、アルバムと証書は一旦お前に渡すけど、後で職員室に返しに来てもらわなあかん。ほんまに申し訳なくはあるんやけど…」
…またか。
これが先生の話を聞き終わった私の素直な感想だった。というよりも、辻褄が合いすぎて、これ以外の言葉が浮かばなかった。いかにも私の親がやりそうなことだ。聞くに、一旦私に両方共を渡してくれるのは、式で私だけが証書がもらえなかったり、みんなと寄せ書きができないことを懸念しての、あくまで先生の配慮のようだ。
先生に、自分から親に聞いてみる旨を伝えて、職員室を後にした。頭の中は、困惑や、恥ずかしさや、怒りや、悲しみでぐるぐると渦を巻いている。こんなところまで親のいい加減さに付き合わされないといけないのか…私の足取りは、職員室を出るときのほうが重くなっていた。
自分の家にどの程度のお金があるのかなんて、普通は子供の目にはわからない。うちは特に、明日のご飯を心配するような生活はしていなかったと思うし、平凡におもちゃやお菓子などは買い与えられていたように思う。
でも同時に、先生から”特別なお手紙”をもらったり、「学費」と書かれた封筒を先生に渡すように親から仰せ使うこともあった。とすると、小・中学生の時から、学費の滞納はよくあったのかもしれない。このあたりのことは、我が家では最上級のタブーであり、詮索の素振りだけで鉄拳と怒号が飛んでくる。従って私自身、両親の経済状況なんて全くもって知るよしもなかった。
思えば、いつ何時も、「お金」はあってもなくても、我が家では一番の喧嘩の種。両親は月末になると「お金、無いわ!どないすんのよ!」「知るか!お前がどうにかせえや!」とお互いを罵り合う。次の瞬間には、物が割れる音と怒号が響き渡る。毎月欠かさずこのやりとりをしている両親の前では、息をするのもはばかられた。まして、ないがしろにしている(つまり両親にすればお金を払うに値しない)学費の件に関してお伺いを立てるなど、考えただけで背筋が凍りつくようだった。
夕ご飯の食卓。まわりに気づかれない程度に深呼吸をし、意を決して切り出した。
「今日実は、先生に卒業証書とアルバムのことで呼び出されて…」
一通り説明を終わると父の顔を見た。彼は意に介さない様子で、
「あぁ、それか。そやな、払えてないわ。」
と言い捨てた。まるで、頼まれていた牛乳を買い忘れていた、というような重みの無い言い方で。父がこういう反応をする時は、決まって彼が避けたいトピックの時だ。
「できれば、期日までにちゃんと支払ってほしいねんやんか。さすがに卒業式で証書もらえへんのは辛いしさ…」
父は黙ってご飯を食べ続けている。何か間違えただろうか?口調に怒りがこもっていた?言い方が悪かった?態度が悪かった?妙な沈黙がよけいに居心地を悪くさせr…
ガチャン!
突然、お椀が割れるほど激しい音がしたと思うと、父が怒鳴りだした。おそらく二言目で、押しては駄目なスイッチを押してしまったようだ。
「お前はうるさいな!ほんま。ガキのくせに、親の金のことに口出ししやがって。はよ出ていけや。飯代かさむわ!」
「心配せんでも、卒業後出ていくやん!とにかく学費は払って。それだけやから。」
父は、さらに一通り言葉で私を殴りつけた後、睨みを効かせながらどこかに行ってしまった。
え、逆ギレ?幼稚園は中退。小中と学費の滞納。高校は”一応”卒業。勘弁してほしい。お金が払えないなら払えないで、きちんと説明をしてほしい。私が望むことはいつだって簡単なことだと思うのに。それとも私は何か間違っているのだろうか。
悔しさを飲み込んで、すでに冷たくなってしまったご飯を口に運んだ。他の面々からの視線には、お父さん怒らせて、めんどくさい、という思いが込められていたが、それには気づかないふりをした。
卒業式当日。私は卒業証書とアルバムを無事に受け取った。
「卒業おめでとう。」
家に帰ると、父は優しく言った。多少の罪悪感を含んでいるようにも思えたが、それが心から私の卒業を祝ってのものなのか、形式的なものなのかまでは推し量れなかった。
卒業証書の件で私に見えたこと。それは、お金があっても無くても我が家は結局「不幸」だったんだろうということ。父は常に、家族を犠牲にしてでも周りに見栄を張り続けていた。誰に対しても「いいお父さんアピール」を押し付け、大して乗りもしないクラシックカーをコレクションする。お金が無いにもかかわらず、人にものを奢り、自分の欲しいものは買い、そしてそのつけを家族に払わせる。母の稼ぎは常にどこかへの支払いや補填に消えていっていた。ここにはまだ書けないような、醜い家族の争いも数え切れないくらい経験している。その度に、そんなんやからお金も人も離れていくんや、と痛感してきた。
それが見えてからというもの、私は例えお金がなくても、心は豊かでいようと決めた。私の考える「豊かさ」とは、辛いことがあってもそれをはねのける強さ。ありふれた小さなことにも感謝できる誠実さ。誰かに元気を与えられる明るさ。人を傷つけるような嘘をつかず、真摯に向き合う姿勢。そして結局、そういう豊かさを持つ人のところに、人は集まるし、それはお金だって同じだと思うのだ。
「周りから幸せに見える」ことに取り憑かれていては、お金が無限にあったところで、「自分たちが幸せに感じる」ことはできない。
もしかしたらそれが、私が高校で学んだ一番大切なことかもしれない。
あ、そうそう、最後に一つ。
卒業式終了後。
式を終え、みんなでメッセージを書き合った後、私はまっすぐ職員室に向かった。もちろん、証書とアルバムを先生に返しに行くためだった。