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【第21話】懺悔(ざんげ)

今日は懺悔(ざんげ)をしようと思う。

私も、元バッタモン家族の一員。父のように暴力的な一面があったのだ。自分でも認めたくない部分だが、置かれていた環境を考えれば、染まらずにいない方が無理な話だったかもしれない…と思うのは言い訳だろうか。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

懺悔の相手は、腹違いの妹だ。小さな頃から両親に理不尽なことで怒られると、その鬱憤を妹にぶつけていた。今考えれば、あの父とほぼ同じことを妹にしていたのだから、本当に恐ろしいことだ。さらに下にはもうひとり弟もいるが、私の暴力的な言動は特に妹に向けられてきた。

まな(仮名)は、私の下に生まれた女の子。人が集まるのは、いつも妹の周り。彼女を見つめる皆は一様ににこやかだ。「可愛い、可愛い」と言って妹のことをかまっている。私はその様子をいつも遠くから眺めていた。

誤解が無いように言っておくが、妹ができたこと自体は、それはそれは嬉しかった。ただ、今までは私が一番だったのに、妹が生まれて、私はみんなにとってもう”用済み”のように感じていた。年が離れていたから、みんな赤ちゃんが可愛いのは当然のこと。しかし、その時私もまだ小さな子どもで、そんな事情はよくわかっていなかった。ただ、丁度”自我”がはっきりしてきた時期だったのだろう。今までぬくぬくと温かい部屋が、急に寒くなったようなショックを感じていた。

 「みんな、まなのことばっかり…」

私には与えてもらえなくなった、愛情に満ちた空気があまりに眩しくて、その場に近寄れなかった。

私が小学校高学年になると、後をついてくる妹がうっとうしくて仕方なくなった。両親は仕事で忙しいから、必然的に私が面倒を見ないといけなかった(自分勝手な兄たちが彼女の面倒を見るわけはない)。

 「え?!また妹連れてきたん?どこにも行けへんやん!」

友達と遊ぶのに妹も連れて行くとこう言われた。田舎だったので、遊びといえば、自転車で少し遠出したり、海の方に行ったりしてみるのがお決まりだった。でも妹はまだ小さい。遠くまで連れて行くのは危ない。だから”遊ぶ”と言っても、妹ができる範囲のことに限られてしまう。目を離して迷子になったり、怪我をしたりしたら大変だからだ。そのうち家の近所でしか遊べず、もともと少ない、私と遊んでくれる友達は更に減ってしまった。

そして何よりも耐え難かったのは、そこまで自分の身を削って妹の面倒を見ても、誰も認めてくれず、褒めてくれないことだった。

 「お姉ちゃんやねんから、妹の世話するのは当然や。」
 「そんなもん、お前が我慢しろ。あたりまえやろ。」

妹が家族みんなに可愛がられるのを横目に、私はこう言われ続けた。彼女のことは、泣いても、笑っても、みんなが気にかける。一方私の訴えは、そんな簡単な言葉にかき消されてしまう。

私も妹のように、気にかけてほしい。

彼女は小さいから、可愛がられるのは当たり前だ。当たり前なのだけれど…妹が皆に囲まれて笑う様子を見る度に、嫉妬と褒めてほしい欲望が、自分の中に溢れていった。

そんな私の気持ちも知らずに、来る日も来る日も、無邪気に笑い、私の名前を呼びながら近づいてくる妹。

 「Maiちゃーん!」
 「……」
 「みてーみてー!」
 「…もう、うるさいねん!!」

思わず苛立ち、怒鳴った。妹の輝く笑顔が一瞬にして曇った。

妹は何も悪くないのに…わかってる。でもこの瞬間は、ずっと耐えてきた鬱憤を止めることができなかった。

 「あっち行って!」
 「どうしたん?」
 「ついてくんな!」
 「なんで?」

私の怒った声にびっくりした妹は、今にも泣きそうだ。私自身も、体中から溢れ出てくる嫉妬と怒りを抑えられない自分にびっくりしていた。妹はまるで、小さい時の、父に怯える自分のようだった。

うざい。うるさい。お姉ちゃんは我慢。泣いたらダメ。甘えるのもダメ。ダメダメダメ…。私はダメな子。妹も大事にできない。何をしたって、どうせお父さんに怒鳴られるのは私。お母さんに怒られるのは私。お前は何をしたって許されて、私は何をしたってダメと言われる。誰もわかってくれない。褒めてくれない。嫌だ。嫌だ。なんで、なんで。私はどうしたらいいの?

頭の中を駆け巡る真っ黒な悲鳴は、気を許すと口からも漏れ出てしまいそうだった。

目の前の妹は、すでに大粒の涙を流し、声をあげて泣きだした。

うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。泣くな!泣きたいのはこっちなんや!

 「泣かんといて!」
 「うわーん!!」
 「泣くな!!」
 「うぇあーん!!」

妹の声は大きくなるばかり。

 「もう!うるさい!」

…バチン!

気がつけば手が出ていた。私は、思いっきり妹の左頬を引っ張ったいたのだ。

何が起こったか分からず、妹は一瞬だけ泣き止んだ。が、それは嵐の前の静けさというやつで、事態を理解すると、さっきよりも大きな声で泣きだした。妹のまんまるな左頬は赤みを帯びて、まるでりんごのようになっている。それだけ私は彼女の頬を強く叩いたらしい。

妹の泣き声を聞きつけて、父が何事かと様子を見にくる。

 「どないしたんや!」
 「おとぉさぁぁーん、Maiちゃんが…うっ、うっ、た…叩いたー!」
 「お前は!何しとんねん!妹を大事にできひんのか!妹に手をあげるなんて、ほんまに情けないやつや!」
 「(自分だって、私のこと叩くくせに。私の言い分も聞いてよ。ちゃんとやってるのに、なんで私ばかり怒られるんよ!)」
 「なんや!その反抗的な目は!」

言いながら、私の方に一歩踏み出した父に怯えて、つい目をそらす。父は、私のことには構わず、妹を抱いて別室に行く。

ほらね。どうせ怒られるのは私。まななんて大嫌い。お父さんも嫌い。みんな嫌い。

そこから私は”たが”が外れた様に、自分が受けたストレスを全部、妹に向けていた。私は妹が小学校高学年くらいになるまで、気に入らないことがあると彼女を叩いたり、蹴ったり、心をズタズタにする暴言を吐いたりしていた。父と同じことをしている。でも、それが悪いこととは不思議と思わなかった。父が私にもやっていたから。そして、何よりスッキリしたのだ。後になって、そんな自分が心底怖くなるのだが。

妹はどんどん打たれ強くなった。最初は泣きじゃくっていた彼女も、小学校に上がると、何を言っても、叩いても、泣かなくなった。冷めた目で私を見て、その場を去っていくのだ。「ダサいよ、年の離れた妹いじめるなんて」と言わんばかりの目つきだった。

私は自分の弱さをどんどん実感する。手をあげなければ、怒りや鬱憤を晴らすことすらできない。気持ちをわかってもらうことができない。自分のことがどんどん小さく、汚く、醜い存在に感じていった。自分勝手な嫉妬に気がついたときは、後悔と惨めさで息ができなくなりそうだった。

父とそっくりだ、私は。こんなことは止めないと。

でもまず、謝り方がよく分からない。父はいつも、謝罪の言葉に心なんて込めないし、真摯に反省を示すこともない。暴れ方は真似できても、収め方の参考にはならなかった。悪いことをしてしまった相手に、本当に申し訳ない気持ちをどう伝えていいのか分からなかった。

私と妹の関係修復は簡単ではなかった。どうしたらいいのかわからないため、とにかく妹に優しく接していくよう努めた。叩くことはもちろん、暴言も吐かないようにした。それでも私は、自分の機嫌が悪いと、条件反射で妹に八つ当たりしてしまった。それで何度自分を責めたことか。

時間グスリ、というのだろうか。妹が成長するにつれて、少しずつ姉妹の関係は改善していった。お互いのストレスの源が一致しだしたからだ。傍若無人な父とヒステリックな母に、私だけでなく妹も疲れていた。一度両親のケンカが始まれば、姉妹で同じ部屋に集まって他愛ない話をして過ごした。大人になってから、妹とは親友のように仲良くなった(…私としては。彼女はどう思っているかまではわからないままだ)。恋バナをしたり、朝まで海外ドラマを観たり、買い物に行ったりしていた。

そんな中私はふと、私は妹にずっと嫉妬していた、と気がついた。愛嬌があり、無邪気な笑顔に、甘え上手。私は強気に見えて、いつもビクビクしていた。人の顔色を伺い、甘えるのも苦手だった。つまり、妹の方が可愛気があるのだ。私が成人を迎える頃には、その差はもっと目立っていたように思う。妹はおもしろくて友達も多く、少しおっとりしているが、成績優秀で明朗な人気者。美しいほどに、私と正反対。そこを無意識に感じ取って、小さな頃からコンプレックスを抱いていたのだと思う。

私は本当に悪い姉だった。

機会があり、妹に向き合い謝ったことがある。

 「小さな頃は叩いたり、蹴ったりしてごめん。」
 「ええよ。あれは。」
 「私のこと、めちゃ嫌いやったやろ?」
 「うん。今は思ってないけど、あの時は死んでほしいって思ってた。」

笑顔で言う妹が怖かったが、妹もそれだけ怖かったということだ。私がそこまでひどいことをしていたのは、私自身が一番よく知っている。

父は私と母をサンドバッグに。

母は父と私をサンドバッグに。

私は妹をサンドバッグにしていたのだ。

悪循環。

人に嫌なことはしてはいけない。幼稚園児でも知っている、簡単なことだ。嫌なことをされ続けると、その人が今度は誰かにそれをぶつける。その連鎖が続いていく。人を大事にできないと、誰からも大事にしてもらえない。

まな、本当にごめんね。

懺悔は以上になる。

振り返って思うのは、私もれっきとしたバッタモン家族の一員だったということ。彼らから離れてからというもの、我を忘れるくらい怒ることなど殆どなくなった。もちろん、人を叩くことも、蹴ることも、暴言を吐くこともない。

ただし、妹をいじめていたツケは、今になって回ってきていると感じている。彼らとの心の距離が、前よりもうんと遠くに離れていってしまったのだ。海外に住んでいる私がたまに日本に帰るときに連絡をしてみても、喜んでくれるどころか、会う予定を合わせてもくれなくなってしまった。もしかしたら私の存在は、彼らにしてみれば、長く一緒に住んでいたルームメイトくらいのことだったのかもしれない。

彼らへの愛情が、全て私の片思いだったように感じることがあると、苦笑いせずにはいられない。私もとんだ”バッタモン”だったんだな、と。

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