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【第31話】”たかが”デジカメくらい…

高校2年の時、風景写真を撮ってブログに投稿することが私の趣味だった。

風景写真と言っても、画質の悪い折りたたみ携帯でとったおそまつな画像を、その時の気持ちや状況と合わせてブログサービスにしたためておくだけ。自己満足の日記のようなものだった。高校生である私がバイトをするのにも当然限りがある。本当はもっといいカメラが欲しかったが、分相応と割り切って趣味を楽しんでいた。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

17歳の誕生日、当時の彼氏が誕生日プレゼントをくれた。包み紙を開けていくと、つやつやしたパッケージが顔を覗かせる。もしや…でもそんな、まさか!頭の中に何かひらめくものがあり、包み紙を剥がすペースを上げる。すっかり丸裸にされて姿を表したのは…デジタルカメラだった。

カメラの本体はタバコの箱くらいの大きさで、10代女子の私が片手で扱っても辛くない重さ。性別を問わない当時最先端のデザイン。当時、今よりも更に高級品だったろうそれは、私の目の前でさんさんと輝きを放っている。

ドキドキしながら電源を入れて、試し撮りをする。鮮明な画質に感動すらした。やっぱりと言うか、当然と言うか、携帯とは天と地ほどに違う。いろんな場所に行き、これで写真を撮るとどんなに楽しいだろう。そう考えるだけで顔が自然とほころび、家族との色のない生活に、少しだけ彩りが生まれるような気がした。そんな魔法のような道具が、自分の手の上にある状況を飲み込むまでに、少し時間がかかった。

彼氏にお礼を伝えると、彼は自分がプレゼントをもらったかのように嬉しそうにしていた。

最初はどこかもったいない気がして、恐る恐る使っていたデジカメ。そのうちに、どこに行くにも持ち出しては、写真を撮るようになった。撮り溜めた成果を眺めながら彼氏と話しをするのが何よりの楽しみだった。

ところが半年後、ようやくデジカメが手に馴染んできた頃…

 「お前のデジカメ、くれや!」
 「なんでやねん!何言うとんねん!嫌に決まってるやろ!」
 「また彼氏に買うてもらえや!」
 「いや、そういう問題ちゃうやん。」
 「お前は、親を助ける気ないんか!!誰のおかげで飯が食えて、学校行けてると思っとんねや!”たかがデジカメくらい”大したことないやろが!」

開いた口が塞がらない、とはこういう瞬間のことを言うのだろう。いくら親であろうと、筋の通らない理屈を大声でまくしたてて、他人が大切にしているものを一方的に取りあげていいはずがない。父の辞書には無かったのかもしれないが、世間一般にはこういう行為のことを「カツアゲ」と言うのだ。

そんなことを思いつつ、これから起こり得る2つのパターンに考えを巡らした。

1つは、カメラを取り上げられるパターン。私が「カメラは渡さない」と伝えるや否や、更に大きな声で怒鳴りつけてくる。もしかしたら、さんざん罵倒した挙げ句に諦めてくれるかもしれないが…最悪、殴られることも考えておかなければ。そうなれば、強引にカメラを引き剥がされ、満足気にしている父の顔を、呪いの眼差しで見つめることになるのだろう。

2つ目は、素直にカメラを渡すパターン。私が素直に諦めて、カメラを差し出す。この場合、怒鳴り声と罵倒、拳が飛んでくるのは回避できるが、結末は変えられない。呪いの眼差しは一層仄暗いものになりそうだ。

だめだ…こうなってしまっては、十中八九カメラを取り上げられてしまう未来しか思い浮かばない。デジカメを手放すのはどうあっても嫌だ。父が言うように、また買ってもらえばいいなんてものでは断じてない。彼氏は私の喜ぶ姿を想像しながら、いろんなお店に行って選んでくれたに違いない。これを渡せば、私は彼氏の気持ちまで踏みにじってしまう。

どうしよう、どうしよう、どうしy…

「おい!はよせぇや!さっさと渡せ!」

ナイフのような尖った声に、体がビクッとなり、そこで私の理性的な思考はかき消されてしまう。同時に、私の右手は、反射的にカメラを差し出していた。以前書いた記事で、母のことを”よく調教された”と表現したことがあるが、私だって全く同じだったのだ。結局、彼の言いなりにならざるを得ない。父は乱暴に私の手からカメラをむしりとり、勝ち誇った顔をしている。

その後数日は、カメラが手元に無いことがひどく落ち着かなかった。ふと気づくと、「あれ、どこにやったっけ?」とそのあたりを探し、取り上げられてしまったことを思い出しては落胆を繰り返していた。カメラを通して覗いた風景のことを思い返す。写真を撮るのが好きだったのは、きれいなものを撮ってブログに投稿している間は、家族のことを考えずに済むからだった。私の想いなど知る由もなく、父は我が物顔で私のデジカメを使っていた。人に自慢すらしていたほどだ。

何よりも辛かったのは、カメラを父に取り上げられた事実を、プレゼントしてくれた張本人の彼氏に伝えた瞬間だった。優しい彼は、怒るよりも落胆の色を見せた。私は何度も謝るしかできなかった。悲しい、切ない、とも読み取れる笑顔で「仕方ないよ」と言った。その表情を見た時、私が彼氏の大切なものを奪ったみたいに思えて、心臓がキュッと痛んだ。父親に酷いことを言われるよりも、デジカメを取られたことよりも、彼氏の悲しむ顔を見る方が耐えられなかった。

あの時、怒鳴り声も殴られるのも覚悟で、デジカメを守ればよかった。

彼の言葉を借りれば”たかがデジカメ”にまつわるこの件を期に、私は、父の筋の通らない行いに対して、真っ向対立することに決めた。こんな調子で父を”のさばらせて”いれば、きっと良くないことが起こる。彼の結論ありきで、どうすれば自分たちへのダメージが少ないか、と考えながら卑屈に生きることになる。何より、私が大事にしている物や、人や、想いを、自分勝手に傷つけたり、ないがしろに扱われることに、これ以上我慢がならなかった。

もう、彼の好きなようにはさせない。私の人生は、私が決める。彼の”かご”の中で、彼の気まぐれな許しを請いながら生きていくなんて、私はまっぴらごめんだった。



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