20/10/15(木)

週末にあるNVCオンラインフェスティバルの通訳に手を挙げて。この2週間ほど、関連動画を見たり本を読んだりしていたのですが、今日始めて自分でNVCを体験した。

オンラインでのNVCの簡単な説明と、実際にNVCの「型」を使った聞き/聴き合い。私も自分の番の直前まで何を話そうかコロコロと変わりながら、2分ほどここ数日のことと今のフィーリングが混じった話をする。

リストから感情やニーズを「推測」して、読み上げ尋ねられる。一見シンプルで機械的にも感じられるのに、なぜかそれらの言葉が声になると、そっとそれらが私の話したかったこと、その時の私に寄り添ってくれるようで。(負の)感情の時は、その痛みのようなものを、ニーズは分かってもらえている暖かさのようなものを感じた。

たった2分間話しただけ、そして誰も何もパーソナルというかオリジナルなリスポンスはしていない。皆リストにあった言葉を投げかけてくれただけ。それなのに、私はちゃんと聴いてもらった、分かってもらえた気がした。それを後からシェアしたら、それは「共感」を体験していたんだよって。先回って「理解」してもらわなくたって、いいんだな。

それにしても実質2分しか話していないのに、ずっと繰り返してきていた経験の感情を今までないくらいはっきりさせられたような気がする。そしてそれに紐づいているニーズも。「価値を認めてもらうこと」。これがコアニーズ、なのかな。同じ経験をしていなくても、「共感」というかニーズを一緒に味わうことが出来るのは、希望。残るいい言葉。

このセッション中にまさにちょっとこの感情になっちゃいそうな時に、色々のぞいていて(えへ)たまたま見つけたこの投稿。今日話していたこととすごく繋がっている。

あなたが誰かや集団と会っているとき、
ひどく疲れを感じてしまうのは、
おそらくあなたがそこで「一番」じゃないからです。
「自分が一番になれない環境の中で
2時間以上も拘束される」ということに
我慢がならないからです。
あまりに耐えられなくて、
頭がフラフラして、蕁麻疹が出ることもある。
そんなふうに自分にとって
無意味な時間にからめとられることを
「命そのものを削られるように苦痛」
だと感じてしまう人は、おめでとうございます。
体内に毒を持っています。

ずっと悩まされてきた/悩んできたこと、ここまでズバッと言われているのを初めて見つけた。。。そうなのだよ、「毒」。意外と「毒」あるよねーとか言われる、確かに。ちょっといらっともするし(何を今更!)、どこか気付いてくれてありがとう〜ともなったり。
(しいたけ.さんは岡本太郎さんの著作を読んだのかな。久しぶりに読みたくなっている。)

そういう場にいると、ほんと頭が麻痺したようになる。今日の感情でも話していた感覚。でも周りから見たらただの「不機嫌」なのだよね。どうリクエスト出来るか、なのかな。今日一緒に考えてもらったリクエスト、出来るかな。

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