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#8月31日の夜に、8月32日の朝を考える。

9月1日にならない世界を、考えてみる。

朝起きたら、8月32日になっている。
昨日とさほど変わらない、同じ月の、また別の日。

「昨日の朝はパンだったから、今日はご飯に納豆よ」と母が言う。

「おはよう」といった父の顔が埋まっている新聞の紙面をのぞき込むと、日付はちゃんと8月32日と書いてある。

ご飯の後は少しテレビを見て、そのあと犬の散歩に行き、やばいもう外暑いよー!とクーラーの前で涼み、ジュースを持って自分の部屋に戻ったら、そこから少し勉強する。もちろん、メールしたり、休憩休憩といってごろんと横になったり、漫画を読んだりするのを含むのが、私の勉強だけど。

なんだかんだで、夕方になって、暇だし私散歩に行くよ、と言ってついでにコンビニにちょっと寄り、みんなでご飯を食べ、お風呂に入り、テレビテレビメール漫画メールメール・・・寝る。いつものパターン。


朝起きると、8月33日になっている。

「今日はゾロ目だぞ」なんて父がいって、また同じような一日が始まる。
「あなた宿題ちゃんと終わったの?」大丈夫、だってまだ私の夏は続くから。

8月40日くらいで、ふと気づく。
「ねえ、お父さん、最近同じような番組ばっかじゃない?」
「当たり前だろう。だってお前、新番組は9月からなんだからな」。

8月50日。そろそろあの漫画の新刊が出る頃なんだけど。
「いらっしゃいませー。え?新刊?あっちの世界だったら、今ごろもう出てるんですけどねぇ」。

8月100日あたりから、父の新聞は1枚に減り、あっちの世界の友達とは共通の話題がなくなってくる。

8月200日・・・持ってる夏服が、すべてヨレヨレになってしまった。

8月○○○日・・・あれ、いまごろ受験だったっけ?

8月○○○○日・・・あ!白髪が生えてる!?


「永遠に続く8月」の想像は、ちょっとやりすぎかもしれないけれど。

自分のタイミングで新学期を迎えることができる。そんな世界は、子供たちにとって優しい世界と言えるでしょうか。


親になってわかったことは、自分の子供が悲しいと、親も悲しいんだ、ということ。子供が痛いと、自分が代わってあげたいと心底思うということ。子供が悩んでいたら、親は解決してあげたくてどうしようもなくなる、ということです。

同時に、ちゃんと育ててあげなくちゃ、という責任を持っていることも知りました。親として「ちゃんと育ててあげたい」気持ちが強くて、時に「ちゃんとして!」になってしまうことがあり、反省。

「元気に生まれてきてくれたら、それでいい」。そう思っていたのに、いつの間にこんなに欲張りになっていたのだろう・・・と。


8月32日の世界を、今度は親の気持ちで想像してみる。

子供が希望したら、私は8月32日の世界に連れていってあげたい。いつものように朝食を出して、掃除して、洗濯して。いつもと同じように、「宿題やったの?」なんて聞きながら、あなたが決断するのを待つ。

「そろそろあっちに戻ろうかと思って」と言われたら、「あなた、どうせ新しい漫画が読みたいだけなんじゃないのー?」なんてからかいながら、あなたの勇気を思って、心の中で泣くかもしれない。

夏休みが永遠に続く、8月32日の世界。それはもしかしたら、子供たちというより、親にとって優しい世界なのかもしれないな。

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