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声の文化と文字の文化

オングの「声の文化と文字の文化」を読む。多くの文献がひかれていて難儀もしたが、ここ数年でも最高度におもしろかった。ページをめくるごとに刺激があり、すべての内容を読み切れてもいないが、熱いうちにまとめておく。この刺激が揮発してしまうのは、あまりに残念すぎる。

「声の文化と文字の文化」W-J・オング

大筋:
文字の文化の前に声の文化があった。
現在われわれは、文字文化の中にいる。文字文化は手書きからはじまったが、途中では印刷という大きな波を経験し、今はエレクトロニクスという第二の波の最中である。

(ただし執筆は1982年であり、テレビやラジオが主で、コンピュータといってもインターネット普及以前でWebもSNSもない時代だ。BBSがかろうじてあったくらい。2003年に亡くなられているようだが、この時代に関する感想を聞きたかったものだ。)

われわれもはや、声の文化における思考の仕方やものごとの捉え方を忘れてしまっているが、両方をしっかりと考えて位置づけることが、未来をとく鍵にもなる。

文字の文化の前にあった声の文化の重要性。
声文化が文字のベースになっていることはそのとおりとしても、少なくとも、それは文字文化の改良以前の「劣った」前バージョンではない。別のものだ。

第1章 声としてのことば

(一次的)声の文化
文字を書くことをまったく知らない人びとの文化、その人たちの世界認識のしかたは、現代のわれわれの想像をはるかに超えたものである。
ことば(声)の獲得以後/ことば(文字)の獲得以前

P.24
現存する言語:3000、そのうち文字を持っているのは78言語
自然言語 → 無意識から生じる
コンピュータ言語 → 意識から直接生じる(ので扱わない)

ogawa:
彼の述べている「コンピュータ(言語)」は、インターネット/Web/SNS/ビッグデータ/クラウド/AI以前であり、コンピュータにまつわる彼の理解は今となってはあまり現実的ではない。プログラムによって自然言語を解析したり処理することも、含まれていない。
「プログラム言語」自体の言語性については、彼のスタンスで問題はないと思われるが、コンピュータが「自然言語」に影響する在り様は、印刷術(という技術)が言語に与えたインパクトに匹敵する、というかそれ以上の影響力を持っていると自分は考えている。今はまだその途上であって、途上にして大きな影響が顕在しているので、最終的にはどこまでのことが進展していくのか予想がつかないが、これは自分の最終課題である。

p.26

→ 一次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究が起きない
→ 集団的な過去に参加することによって学ぶ、見習う
文字
→ 二次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究は文字あって起きる
→ 「研究」によって学ぶことができる

p.33
「(ことばで表された)概念は、絶えずその語源を引きずっていく傾向がある」

p.34
ことば → 口頭での話し(声)に基礎を持つ
書くことば → ことばを ”視覚的な場に、むりやり永久に固定してしまう

p.39
声文化の人びと
→ 今日では文字を学びたいと強く思っているが、同時に、声の文化の心を沸き立たせる多くの愛するものを手放さなければならないことに哀惜の念もいだいている(「ピダハン」は、どうなのか?)
→ 「生き続けるためには、死ななければならない」

p.40
文字文化
→ 先行する声文化を食べ尽くす/声文化が存在したという記憶すら破壊する
しかし
→ 文字文化かぎりない順応性があり/完全でないにしろ声文化の記憶も再建されうる
文字文化による声文化の再建によって、人そのものの意識を高める

ogawa:
[声→文字]の変遷の形式を、[文字→コンピュータ化] にシフトさせて見ることに意義がある。

第2章 近代における一次的な声の文化の発見

p.57
ホメロスの時代のギリシア人は陳腐な常套句を評価
→ 声文化の認識世界/思考世界全体が、きまり文句的な思考の組立に頼っていたから
→ 声文化では、獲得した知識を忘れないように絶えず反復しなくてはならなかった
  → 知恵をはたらかせ、効果的にものごとを処理するために、型にはめて固定した思考パターンが欠かせない

ogawa:
好きなジュリアン・ジェインズについてまるまる1ページ割かれていてにうれしくなる。細部には難を示しつつも、大筋において好意的や賞賛が感じられる。

第3章 声の文化の心理的力学

p.73
すべての感覚は時間の中でおきる。
なにかをよく調べるためには、それを静止させる必要がある/視覚は固定するのが得意で、それによって視覚は動きを記録する。
しかし、音には静止画にあたるものがない。

p.74
声文化の人にとってことばには魔術的な力がある。
かれらにとって、ことばは話され、音として響くもの、ゆえに力によって発せられる
文字文化の人はそれを忘れがち。
かれらにとって、ことばは投げだされた「モノ」で、非活動的で「死んでいる」
→ 魔術とは結びつかない

p.76
「知っているというのは、思い出せること」

複雑な問題を考えて解にたどり着いたとする。その問題も解もある程度は複雑である
→ それらを文字や記録無しで、記憶しておくことは困難である
なんの助けも借りず、もう一度思考の流れをたどり、吟味することは不可能である。

声文化の人の長く続く思考は、つねに人とのコミュニケーションと結びついている

どうするか → 記憶できる範囲内で思考する
すぐ口に出せるくらいの記憶(量)に基づいた思考に留める

口に出せることが、記憶を助ける
→ 強いリズムを持つ、均衡の取れた記憶しやすい「型」にはめる、反復や対句、韻を踏む、あだ名のような形容句、きまり文句、紋切り型のテーマ、などなど。

p.92
声文化の中での知識の獲得
→ 何年もかけて何度も口に出して根気よく習得し憶えていなければならない
→ 知識は得がたく貴重で、これを保存している古老が高く評価される
  (文字として知識が外化されるようになると古老の価値はさがる
   /新しいことの発見者としての若者の価値があがる)
→ 精神は伝統主義的で保守的な構えとなり、知的な実験を禁止する

p.102
声文化は定義に無関心
辞書にあたるものがない/語の意味はつねに現実の状況に固着している(その変遷や経緯は問わない/問えない)

p.119
声文化の人に関するさまざまな実験から見いだしたこと:
声文化の人の不得手なこと
→ 幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、包括的な記述、ことばによる自己分析
→ だから劣っているという意味ではない
→ そういった能力は、テキスト(文字)によって獲得したものであるという事実

p.153
視覚は分離し、音は合体させる
聞くことの中にひたることはできるが、視覚の中にはひたれない
視覚は切り離す感覚、音は統合する感覚。
視覚の理想は明晰判明性/分けて見る、聴覚の理想はハーモニー/一つにすること
知識は究極的には、分断ではなく統合であり、ハーモニーを求めること

p.161
ことばを記号と考えること
→ 人間的な経験を視覚に類似したものと考えがち
カレンダーや時計で時間を理解することは、時間を空間扱い(視覚物扱い)して、わかった気になっているにすぎない
→ 空間還元主義

空間還元主義
→ 計り知れぬほど有用で、技術的な必要性が高い → 否定できない
but: 空間還元主義には知的な限界もあるし、ときに人を欺く

第4章 書くことは意識の構造を変える

p.166
書くことは、どんな発明にも増して、人間の意識を作りかえた

p.174
技術は、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させる

p.176
道具をみずからの一部とし、技術的なわざを学習することによって、人間が非人間的になることはまずない。むしろ、技術の使用によって、人の心は豊かになり、人間の精神は広がり、内的な生は密度を濃くする。

p.201
印刷物によって、書くことが人々の心に深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった。中世、さらにルネサンス期になってもまだ、西欧の人びとの大部分は、いまが暦のうえで何円にあたるかといったことを日常生活のなかで意識していたっとはとても思えない。

p.223
文字言語の語彙が豊かになりはじめたのは、書くことにともなってだが、その豊かさの開花は印刷のおかげである。
文字言語があるところには、その文法と慣用がならずある
秩序(文法や慣用)という概念そのものの感覚的な基盤は、かなりの部分、視覚(文字言語が書かれ印刷されること)にある。

第5章 印刷、空間、閉じられたテクスト

p.242
印刷が
→ ルネサンス、宗教改革、近代資本主義、大航海時代を引き起こし
→ 生活と政治、知識を広め、万人識字、近代科学の興隆、社会的、知的生活を変えた
そして印刷が人の意識を変えた

p.249
印刷によって、聴覚優位から視覚優位が確固たるものになった。
読みやすさ、速読、黙読を可能に。

語を空間の中に位置づける〜空間の中に釘づけにする
→ 索引、リスト(一覧表)、内容とレッテル(タイトルページ)、図像的なレッテル

p.260
版面が意味を運ぶ
正確に反復できる視覚情報(※ページの統合的なデザイン/デザインルール)
→ 近代科学はその一つ:正確な観察を正確な表現に結びつけたこと

p.263
タイポグラフィックな空間/空白
活字の作りだす空間
→ 科学的想像力、哲学的創造料、文学的想像力に、はたらきかける

p.266
印刷が
→ 西洋人の認識のエコノミー「心性」に直接的影響を与えた
→ レトリック(声の文化にもとづく)技術を学問的教養の中心から追い出した
→ 数学的分析、ダイヤグラム、チャートによって、知識の数量化をおしすすめた
→ 辞書(あらゆることばを網羅)、正しい言語規則を打ち立てる欲求を喚起
→ 小さく持ち運びできる本 → 一人で静かに黙読 → 内容の私有感覚

p.270
印刷は
→ テクストが閉じられている感覚をうながす
→ テクストの「内容」が、ある終わりによって区切られ、「完成」しているという感覚

認識の場が閉じられている感覚
→ 書くことにより、思考は、対話相手から切りはなされ、紙面に隔離される

印刷物は
→ どんな反論にも無関心
→ 内容(発話と思考)は、独立し、自足し、完全なものとして提示される
(印刷は、同じ作品についての、まったくおなじ視覚的、物理的堅牢さをもった何千部もの版本のなかに、その作品の思考を閉じ込めてしまう。)

第6章 声の文化に特有な記憶、話しのすじ、登場人物の性格

p.285
物語は、いつどこでも、言語芸術の主要なジャンル
もっとも抽象的な言語芸術形態の根底にさえ、物語は存在する。
人間の知識は、時間(と、それにしたがう物語)から生まれる。
→ 抽象的な科学的知識の背後にさえ、観察の物語があり、抽象的な知識は、そうした物語にもとづいて定式化される。
→ 実験室の学生たちは、実験結果を「書きあげ」なければならない。つまりおこなったことと、それをしたときに何が起こったのかを物語らなければならない。ある種の一般化や抽象的結論が引き出されるのは、物語からである。

第7章 いくつかの定理〔応用〕

p.363
声の文化と文字の文化の相互作用
→ 人間の究極の関心と願望(としての宗教)にもかかわる
  → 宗教的伝統は、声の文化に根ざした起源をもち、話されることばを重んじている
  → また聖なるテクスト(ヴェーダ、聖書、コーラン)の発展によって内面化された

p.364
声の文化と文字の文化に関する問題は、いまや無数にある。
声の文化と文字の文化の力学は、現代の意識の進化の流れである、いっそうの内面化と開放にむけて合流していく。

(220929読了)


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