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心惹かれることのために

なぜデザインという仕事をしているのか。
なぜこのような文章を書いているのか。

じつはそれは自分の中ではかなりはっきりしている。

そのときどきの状況に流されたり、偶然の出会いや出来事があったりした結果として、このデザインという仕事を自分はしてきた。だが、場面場面の決断を後押しする、緩やかだが確かな、一定の力が自分の中には働いていた。「そのこと」はずっと考えてはいたような気がする。そしてかなり後に、シンプルなモチベーションに気づいた。

それは「心惹かれる」という状態のことだ。

わかりにくいかもしれないが、自分がデザインに心惹かれたから、ということでは「ない」。もちろん、デザインに心惹かれたという事実はそれとしてあるが、それは理由ではなく結果だ。
自分は、人が何かに心を惹かれてしまうという、その「事態」に興味がある。そのことに対する好奇心のためにデザインを選んだ、というかデザインを辞めずにここまできた。

音楽にせよ絵画にせよスポーツにせよ、あるいは恋人や友人にせよ、人はなぜか心惹かれ心奪われる。すぐに飽きてしまうこともあれば、一生涯永続きすることもある。

それってどういうことなのか?
結果的にデザインという仕事はそのことを主題化できる数少ない仕事だし、そのことを主題化することを主軸にしてデザインにアプローチすることもできる。自分がしてきたデザインは、おおむねそういうスクリーニングがかかっている。
自分にとってデザインは、心惹かれることに深くコミットしている。

そういうとエンターテイメントに関するデザインと思われるかもしれないが、それもちがう。心惹かれるという「人の行為」に興味があるのであって、心惹かれる具体的な「内容」に興味の中心があるわけではない。むしろ「普通」の中での心惹かれることに、心惹かれる。

こういうめんどうくさいことを、別に考えて決めたわけではない。そういうことを心が望んでいるという声を、自分の意識が聞きわけたということ。

そのために、デザインと哲学の関係を探ったりしている。

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