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ほしくなかったものを買っちゃった話

映画やドラマを観ることを、なんとなく敬遠してきた人生だった。実生活であらゆる刺激に見舞われて、情緒をフル稼働させているのだから、家に帰ってまでドキドキハラハラすることの意味がわからなかった。おうちにいるときぐらい、たのしい気分でいたいよー。ほぼひらがなでそう思い、お笑いを観ながらごはんを食べて、右から左へすべて忘れるのが、私の自由時間だったのだ。

そんな私が、情緒をフル稼働させずに済む職業に就いた。コピー機を作って売る会社で、売れたコピー機についてのデータもろもろを、システムに入力する仕事だ。「人に話を聞く」のが仕事だった頃とは、使う筋肉がまるで違う。相手の気配に呼応して、くるくるとモードを変えることが主軸だった前職と違って、今の仕事はいかに冷静に平熱を保つか、そこがとても問われている。

上司や先輩たちは、実にゆかいな人たちである。かといって、昼休みに一緒にごはんを食べることを強いられたり、一緒に駅まで歩くことを強いられたりすることはない。終業ベルが鳴ると、彼女たちは実にあっけなく「お疲れさまでしたー」と会社を出ていく。そんな日々が重なって、だんだん仕事に慣れてくると、ある欲求がむくむくうごめき始めた。

人の、人生に触れたい。

顔を合わせれば、みんな笑顔だ。おやつを配ったり配られたりして、そこそこ上機嫌で働いている。でも、どの人の、何にも、触れてない気がする。その人はどうして今ここにいるのか、ほしい幸せは何なのか。そんなことを突っつきでもしたら、ちょっとめんどくさいな!って敬遠されてしまうだろう。

どうして、今ここにいるのか。ほしい幸せは何なのか。以前私が無邪気にレコーダーを向けていた、「表現」をする人たちが、それらの話題について大いに胸襟をひらいてくれていたのは、彼らが常にそれらに向き合ってきたからに過ぎないのだと最近知った。そうでない人たちは、それらの話題を好まない。というか、どうリアクションしたらいいのかわからない。そういう話のカケラでも振ると、とてつもなくビミョーな空気が流れる。だってそんなこと、みんな、問われたことがないから。

極めてなごやかな、それでいて誰の何にも触れない職場から、時節柄、まっすぐに帰る。買ったり作ったりした晩ごはんを食べながら、テレビをつける。そうして観るようになったのが、『俺の家の話』であり『おちょやん』であり『大豆田とわ子と三人の元夫』だった。

あれま。こんなところに、「人生の話」がわんさかあった!

そしたらもう芋づる式に、同じ脚本家や時間帯の過去作をさかのぼりたくなる。そういえばかつて、興味はあったのにスルーしてきたドラマや映画がいっぱいあったことを思い出す。検索してみると、だいたいが「プライムビデオ」と「NHKオンデマンド」でなんとかなることが判明した。

というわけで、Amazonの「fire TV」を導入しました!(お写真参照)

これからは、坂元裕二も木皿泉も向田邦子も、観そびれてた『半径5メートル』も『きれいのくに』も『ワンダーウォール』も、自分の情緒が許すタイミングで、いつ観たって観なくたっていいのだ。

自分の人生には必要ない、と思っていたものを、自分の人生にどすんと導入しちゃう日が、こうやって来るのだ、長生きしてると。(2021/06/05)


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