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どうしても、紙で拭きたい日本人。
面白い。日本人は、非常時になると、まずトイレットペーパーを買い占めずにはいられないようだ。これは遺伝子に組み込まれた何かなのか、あるいはオイルショック以来、50年近くも晴れることのない怨念なのか。
思えばトイレまわりの歴史は、お尻をきれいにする技術革新の日々だったはずだ。子供の頃、「ウォシュレット」が開発されて、我が家にもそれがやってきて、初めてノズルからお尻めがけてお湯が吹き出てきたときには、それはもうとんでもなく驚いた。
当時のウォシュレットには、「温風」機能がついていた。「洗浄」ボタンを押すと、あったかいお湯が出てくるのは最初の数秒で、しばらくすると冷水に戻ってしまうのだけれど、そこで「温風」ボタンをおすと、ぶおーーーーっと、あったかい風が吹き付けてくるのだ。
残念ながら、それだけでお尻全体を乾かしてくれるほどの風量ではなかったのだけれど、でも開発者側の当時の願いは「脱・トイレットペーパー」だったことは想像に難くない。
あれから少なくとも30年は経っている。でも、21世紀に突入してもなお、人はお尻を紙で拭きたいのだ。そう思い知らせてくれたのは、2011年、東日本大震災の頃だ。あのときも、あらゆる売り場からトイレットペーパーが消えた。
ある昼下がり、ラーメン屋さんに入ったら、入り口の真横にトイレットペーパーがもりもりと積み上げられていた。その景色たるや異様だった。なんだこれは、とまず思う。すると、貼り紙が目に入る。
「ひとつ500円でお売りいたします 収益は義援金にします」
すごく不条理な光景だった。だって、そのチャリティーごっこのために、このラーメン屋の店員さんたちは、みんな血眼で、トイレットペーパーを買い占めてまわったのだ。家族持ちのお父さんやお母さんが並びに行けない時間帯に並び、お年寄りやちびっ子たちをかきわけてトイレットペーパーをつかみとり、両手にいくつもぶらさげて、ほくほくと店に戻り、この、人が見上げるくらいの、高い高いトイレットペーパーの山を作りあげたのだ。
そして、2020年。今ごろ、あのラーメン屋の皆さんは、やっぱりトイレットペーパーの確保に血眼なんだろうか。人をかきわけ、脱兎のごとく売り場へ走り、むんず、むんずと商品をつかみとっているんだろうか。
じゃあその収益は、子供がガッコーに行けなくなって、働きに出られなくなった子育て家族の日給にまわしてほしい。ひとり親家庭がお店を訪れたら、何も言わず、全員分、ラーメンをおごってほしい。
こういうときは、相手をかき分けるのではなく、みんなで連なるしかないのだから。(2020/02/29)
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