本と卵と「休んだ感」
プチ隠居生活も4ヶ月を突破。でも何だろう、「休んだ感」が、まるでない。
どうも私の中には「仕事ができないからには、別のなにかに打ち込まねばならない!」的な強迫観念があるみたいだ。その「なにか」がうまく見つからない。というか、ちょっとやそっとじゃ「これだ!!」って思えない。自分がそれに向いてない理由なら、そりゃもう無限に思いつける。
ただ、「これが近いかな……?」と思うものはあって、私にはそれが今のところ「読書」であるらしい。ついこの間、朝から図書館に居座ってみたら、そりゃもう天国みたいだった。書棚のすべてを読んでも読まなくてもよくて、手に取ったら好きなとこだけ拾い読みでもよくて、つまらなかったら書棚に戻せばいい。なんて自由。なんて贅沢。
早速、電子書籍になっていない文庫本を3冊取り寄せて、それを受け取り、あんまり行かない隣駅のスーパーに寄って、見事なだし巻き卵を買い、ほくほくとアパートに帰ってきて、だし巻き卵をレンジに入れて、その3冊をテーブルに積み上げた。積み上げて、……何だろう、どうしてもそっちに手が伸びないのだ。
「この本たちを私は、返却期限までに、全部読み終えて返さねばならない」……!!
「読みたい」が「ミッション」になり、「ミッション」が「プレッシャー」になる。ひとつずつ大きく、重くなる。出世魚みたいに。
「休んだ感」がなかなかやってこないのは、この性格のせいな気がする。なにもしない自分、打ち込めるものがない自分を、腹の底からは許してやれてないみたいだ。自分の困りごとを、Google AI「Gemini」さんに尋ねてみるのが最近の私のブームなのだけれど、「Gemini」さんは言う。
「休んでいる間も何かしらやっていたのに、何もしてこなかったように感じるというのは、多くの人が経験する感覚です。SNSなどを通じて、常に何かを達成しているように見せなければならないというプレッシャーを感じているのかもしれません」
……思いあたるふしがなくもない。SNSやブログには本来、きらきらしてる自分のみをアピールすべし、と学んだ時期が私にはある。自分で自分の笑顔を自撮りすべし。その写真を必ず自分の文章に添えるべし。自分の「ありたい姿」をイメージして、少しカメラを高めに構えて。二重アゴが目立たないように。
その教えが、私がもともと持ってた方程式に、ぴったりと重なったのだ。
「人から受け入れてもらうには、何らかの無理をしなくてはならない」。
私の根っこの根っこに植わってる方程式だ。いつも「ゆかいなしーちゃん」でいなくちゃならないと思って育った。友人のみならず、家族に対しても。止まらない汗。あがりまくるテンション。むやみに大きなリアクション。
……そりゃあ疲れるよねー。無理もないわーー。
今回のご隠居生活で、私は「人から受け入れてもらうための無理」を、可能なかぎり放棄しようと決めている。「無理」そのものを根っこから封じるべく、極力誰にも会わない日々だ。今は何とかして、心の平衡を保ちたい。そのためなら何でもする。
これを孤独と呼ぶなら呼んでくれ。この孤独は、必要な孤独だ。(2024/11/10)