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とるにたらない、とりかえしのつかないこと。

 ある日突然、「T」のキーボードが、ぽろっと取れちゃったことがある。

 なんだか手応えがおかしいなあ、と思っていたのだ。「た行」の言葉を打ち込むたびに、なんとなくつまづく。それはもうじれったくて、なんだよもー、とキーボードをいじっていたら、「T」のキーボードだけが、ぽろっと取れた。

 わはは、とれたー! 深夜のおかしなテンションで私は声を出して笑った。すっげえ、キーボードの下ってこんなふうになってるんだ! 取れたキーボードをつまんで写真さえ撮ったりした。翌日のApple Storeを予約して、カウンターへMacBookを持ち込めば、店員さんがその場でちょちょいっと直してくれるものだと信じ切っていた。

 翌日。Apple Storeのお兄さんが、あっけらかんと言った。「キーボードの下のマザーボードが破損してますから、初期化して総入れ替えしないとダメですね!」。初期化、総入れ替え。思っていたよりずっと大規模な修理日程が目の前で組み立てられていく。結局、まるまる1週間、MacBookをApple Storeに預けた。

 大人になると、起きたことや、しでかしたことの大小が、経験則でわかるようになってくる。多少の切り傷やすり傷は、ほうっておけば固まって、いずれかさぶたが剥がれて跡形もなくなるってことを私たちは知っている。おおかたのことに、たかをくくりながら私たちは生きている。けれど、ある日突然、足元のはしごははずされる。

 その人とのつきあいは長い。一度会ったら次はいつ会えるかわからない日々や、顔を合わせてもろくに話せなくて地団駄を踏む日々を経て、今はある程度の頻度で会い、話し、別れるを繰り返している。すぐまた会えるとわかっていても、私は昔から、ただ黙って共に時を過ごすことが苦手である。沈黙が流れると、私の脳みそは静かに回転を始める。たしか、もっと話したいことがあったんじゃなかったっけ。今話すべきことがあるんじゃないかな。この人と、今しかできないことが、他にあるんじゃないだろうか。

 オガワさんは、今日と同じ明日は来ないと思ってる人なんだねえ。その人がのんびりと言ったことがある。自分なんかは、今日と同じ明日が来ると思ってないと、生活なんて成り立たないと思うんだけど、オガワさんは違うんだねえ。今、全部やっちゃわないと、気が済まない人なんだねえ。

 確かに、仕事ひとつ取っても、やりかけで次の日にまわすことができない。一度やりかけたら、ごはんも食べずに最後まで一気だ。だって、落とし穴は突然、口を開くものだから。明日の朝、ものすごい災難が降ってこないとも限らないでしょう? 現に、私の「T」のキーボードは、何の前触れもなく、突然とれちゃったんだから。

 今日も私は、来ないかもしれない明日に備えて、明日やれば間に合わないこともない仕事に取り組んでいる。仕事の締切は落としたことがないし、若い頃から「仕事が早い」ことだけで重宝されてきたようなライターだ。でも、どうやら、この生き方にもちょっとくたびれてきた。夜は寝たいし、ごはんも食べたい。

 ためしに。ためしに今夜は、途中で切り上げてみようかな。一大決心でパソコンを閉じようとすると、心の底から激しい突き上げが来る。長年の習慣を変えるのはたやすくない。我に返って、はっとした。

 私は、そもそも、明日の私を信じていないのだ。明日の私は、起きられないかもしれない。どうしてもやる気が出ないかもしれない。おなかが痛いかもしれないし、キーボードがとれちゃうかもしれない。だから、今の私が、しっかりしないと。

 つくづく、損な性分である。明日、デキる自分を信じられない。明日、あなたに会えると信じられない。明日も、今日と同じように、何事もなく1日が過ぎていくだなんて信じられない。

 ましてや、ひとのことなんて。と思うのだ。

 だから猛烈に憧れる。なにも恐れずに明日を迎えられる人に。明日もあなたに会えると疑わずにいられる日々に。ただ黙って、隣に座って、穏やかに時間を過ごせる心に。

 誰かと生きていこうなんて考えたこともなく、この歳になってもひとりで生きていることの根っこは、こんなあたりにあるのかもしれないなあ、などと思ったり、したりしなかったりするのだ。(2019/11/29)

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