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自粛生活と無職生活が終わる日〜47歳の就職活動〜

前の仕事を辞めたとき、チマタはステイホーム旋風の真っ只中だった。街はがらんどう。通勤電車もガラガラ。人混み嫌いの私には、それはちょっとしたパラダイスだった。だからといって、出歩くわけにはいかなかったのだけれど。

最終勤務日は4月28日、GW前日だ。インドア体質の私は、嬉々として自粛生活に突入。5月下旬、緊急事態宣言が解除されてもなお、私はおうち生活に飽きることがなかった。

気が済むまでやってやろう。そう思った。おうち生活に気が済んで、もう飽き飽きだ、早く外に出たいと、腹の底がうずうずするまで引きこもってやろう。そんなふうに思っていた。思っていたのだが。

……飽きない。一向に飽きないのだ。

そもそも今回は、今までの人生における何度かの引きこもり期とは意味が違った。「引きこもり」であることに、後ろめたさがないのだ。今までは「ほんとうは働くべきなのに」「ほんとうは人に会うべきなのに」という、「べき小僧」が私の周りを跳ね回っていた。「べき」なのに、お前はそれをしていない。できていない。やーいやーい。「べき小僧」はお尻ぺんぺんしながら、そこらじゅうを跳ね回る。

しかし今回は「引きこもること」そのものが礼賛されていた。みんなが、私と同じように、おうちの中にいた。その連帯感ったらなかった。ただただ幸福だった。

6月に入り、あれやこれやが解除されると、おうち生活はちょっとずつ色を変えた。私にも何らかの「次」が欲しいな、とか思うようになったのだ。

「次」の仕事を選ぶにあたって、これまでの経験を大いに反映させようと思った。私は20代の頃から、求人広告を見れば見るほど、求められているのは自分にできないことばかりであるかのように思えて、「自分に不得意なことをできるようにならなきゃ」と思いすぎるきらいがある。わけがわからなくなって、ブラックで有名な牛丼屋の店員を務めたのはほんの数年前のことだ。とうに40を越えていた。ストレスとトラウマで、しばらく牛丼が食べられなかった。もうその轍は踏まない。私に「できること」をやる。やるぞ。

某大手通販サイト、カスタマーサービスの在宅業務に応募した。一次に通ったが二次で落ちた。これはちょっと、こたえた。コールセンター勤務を経て、私に「できそうな仕事」だと思ったから。しかも大好きなおうちでできるなんて、夢みたいだったから。

前の仕事が先方都合で切られているので、派遣会社に相談すれば、すぐ仕事が見つかることはわかっていた。でも、もうちょっと「やりたい気持ち」にこだわってみたかった。

バイト検索アプリとか、ネットの求人広告からも、いくつか応募した。「ラジオ局にかかってくる問い合わせや電リクに答えるテレオペ」なんてのもあった。ラジオ好きの私は胸ときめいた、でも落ちた。その後もポチポチと応募したが、書類審査にさえ進めなかった。

ここらへんで、あれ?って思い始める。私は、丸腰で求人に応募しても、落ちちゃうんだなってことに気づき始めた。「47歳」を包み隠さず、しかも一般企業勤務の経験が乏しい私のプロフィールが、彼らの目にどのように映っているか。うん。立場を逆転させて考えてみれば、想像に難くない。

ああ、そうか。もう「やりたい気持ち」とやらで仕事を選べる身分ではないのだな。そのことが、なんというか、スン、と胸に落ちた。社会の不公平に戦いを挑むほど気長じゃない。「夢や希望をあきらめないで♪」的にきらめいていられるほど暇でもない。いや、暇なんだけど、私の人生は、そういったきらめきでは真にはきらめかないことを、私は痛いほど知っている。

私の人生は、っていうか誰の人生も、すでにきらめいている。何をしても、しなくても。どんな仕事に就いても、就かなくても。肝要なのは、いつ何どきでも「今、きらめいている」と思える心であり、「きらめく」方へ舵を切れる尻の軽さである。追い出すべきは、「自分はきらめくことができない」と簡単に肩を落とす心である。認めないぞ。私の人生がきらめいていないなんて、そう簡単に認めてたまるか。

電話の向こうの怒声にびびりまくるテレオペ業務を経て、コツコツモクモク系業務を所望した私の次の仕事は、「コピー機のカウンター検針データを入力する業務」であるらしい。日本語入力の速さには自信があるけれど、テンキーはどうかな。ちょっと未知数だ。この歳になっても、まだ「未知数」なことが手の中にある。不思議な気持ちがする。さあ、8月まであと3週間。早めの夏休みを、気の済むまで謳歌したい。(2020/07/08)




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