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雨と手応え

雨の土曜日の朝。

そこまで寒くないが昨日に比べれば気温は下がっている。例年よりも大分早く咲き始めた多くの桜の花びらがこの雨で落ちていくことだろう。

それにしても最近はよく眠れる。布団に入ってから意識がなくなるまで下手したら1分もかかってないかもしれない。かと言って春眠暁を覚えずといった感じでもなくむしろ普段よりも30分くらい早くに目覚める。二度寝にならない程度に布団の中で少しまどろんでから起きる。

仕事場について外の通りを眺めていると意外と雨がしっかり降っているなと思った。おそらく今の段階で入ってる予約以外のお客の入りはそうは見込めない感じもする。

私は雨の日に施術をするのが好きだ。
雨垂れの音や車が濡れたアスファルトを通っていく時の音。雨の日特有のあの気配の中で静かに手を進めてく感じ。

普段の緊張や硬直を抱えた身体が次第にトーンを落としていく。かけたタオルごしに相手の息づかいや体温が手に伝わってくる。調整に集中していくうちに外の雨の音は意識の背後に退いていく。

自分の手によって能動的に相手の身体へと行う操法が、ある一定のところにくると後は色々手は使うものの基本的には「待つ」といったような時間が訪れる。

相手が変化していくのを待つ。入れた刺激が浸透していくのを待つというのは調整のどの場面にもあるがここでの「待つ」は変化したその後、刺激が浸透していった後にその人の身体と私を含めたその空間全体の空気に弛緩や緊張がなく澄んだ感じになるまでの時間を「保ちつつ経過させる」といったようなものであまりうまく表現できない。

調整が上手く行く時は手応えのようなものがあまり伴わない。時間も短くて済んでしまい「え、もうこれで良いのでこれ以上いじくりたくない。」といった感じになる。何分で幾ら、とお金をもらってる身としては困る場合も多い。手数も少なく手を出す場所が自然と分かりそれによって霧が晴れていくように通りが良くなり整っていく。

手応えと書いた。確かに手応えがあり結果もそれに伴うことはある。ただここで注意しなくてはならないのはその手応え自体を目的としてしまってるような時だ。手応えを求めるような時その身体や精神には硬直が潜んでいる。それは自意識が凝固したようなものであり血栓のようなものでもある。流れをつまらせ新たなものがもたらされるのを阻む。発想の転換が出来ず固執するようになり更なる硬直を呼び悪循環へと発展していく。

手応えを求めない。ということは分かっていても案外難しかったりする。求め過ぎない。それか意図の始めにそれを持っていたとしてもそれを追わないこと。

調整の最後相手に仰向けになってもらい頭部への調整を一通り終えると集中して前傾気味だった意識が穏やかに広がりを取り戻してくる。気づくとその意識の背後に退いていた外の雨の音が知らぬ間にまた部屋に入り込んで立ち上がって来ていた。

自然はきっと手応えなんか必要としないだろうな。そう思った。



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