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胞状奇胎日記【2】

家を出て顔を上げると、ちょうど満開の頃だと思っていた桜の木の枝に柔らかな若葉がもう顔を出していることに気がついて、今年は桜をゆっくり眺める余裕が無かったな、と少し寂しく思った。

朝8時30分、病院の総合受付横にある入院窓口まで辿り着いた時、私は緊張すると共に不思議な達成感に包まれ、妙に浮ついた気分でいた。胞状奇胎の可能性を告げられたあの日から今日までの1週間は本当に長く辛かった。それが今日で、やっと終わる。 

私の場合、何よりもまず悪阻が酷かった。しかし、赤ちゃんがいるわけでも無いのに、「悪阻が辛い」と口に出すことはできない。『つわり』という言葉そのものさえも私にとっては暴力同然だった。“赤ちゃんの為なら”という最強の盾を取り上げられた私は、永遠に続く倦怠感と吐き気にただただ打ちのめされるしかなかった。

悪阻が起こる原因の有力な説として、hCG値の上昇がある。その為、通常の妊娠時よりも遥かにhCG値が高くなる胞状奇胎では悪阻が重くなる可能性が高い。教科書をなぞるようにして日に日に重たくなっていく悪阻は、こうして苦しんでる今もhCG値は上昇を続けているということを私に想像させ、怖がらせ焦らせた。というのも、胞状奇胎の治療では、このhCG値を0にすることがまず最初に目指すゴールだからである。けれど出来ることは何もなくて、入院日までの日数を何度も指折り数えては途方に暮れるしかなかった。

それから毎晩、憂鬱な気持ちと共に眠りについた。朝が来て目を覚ますと、下腹部の、ちょうど子宮がある部分が痛いことに気がつく。生理の時の、ぎゅっと絞られるような痛みではない。体内にある風船が膨らんで、押された子宮や皮膚の表面が引き攣るような痛み方だった。娘がお腹の中にいた時に、通った痛みだった。

「見て、少し膨らんできたと思わない?」
「流石に早すぎるんじゃない?」
「でも、2人目はお腹出るの早いって言うし」
「へ〜そう」

胞状奇胎の事などまだ何も知らない、3回目の検診に出掛ける数日前の何気ない会話。ほんの少しだけ膨らんだ下腹部は、私にとって、流産の可能性を否定する一筋の光に他ならなかった。

子宮内の奇胎の増殖速度は早く、通常の妊娠数週よりもお腹が早く大きくなる可能性がある


3回目の検診の後、大抵の人々と同じように検索魔に取り憑かれた私は、代表的な症状の項目に並ぶその一文を見て、一瞬息が詰まって、そして絶望した。絶望は、街でバッタリ出くわした友達のように突然で気軽に私の肩をたたいてくることをこの時初めて知った。

娘が私の中にいた頃は、愛おしささえ感じていたその痛みが、不気味で、怖くて、忌々しく思えて仕方なかった。一方で、赤ちゃんになり損ねた奇胎に同情する自分もいて、同情と憎悪がないまぜになった感情に苦悶していた。自分の感情だったけれど、結局理解できなかった。ふと、例えばこれが、染色体や遺伝子に異常を持った我が子だった場合、私はどんな感情を持っていたのだろうと想像して、怖くなった。

不思議な達成感の正体は、悪阻とサヨナラできる喜びだと思っていたけれど、今思うとこの珍しい病気を理解してくれる人が居る安心感だったかもしれない。手術に必要な情報として最後の食事はいつかと聞かれ、前日の昼から何も食べれていないことを告げる。それを聞いた看護師さんは「そっかそっか、気持ち悪いよね」と悪阻の酷さを瞬時に理解してくれ、それだけで涙が出そうになってしまった。私は今日まで誰にも打ち明けられず、ひとりきりでこの苦しみと恐怖を抱えてきていた。

窓に引かれたクリーム色の薄手のカーテン越しに春の陽気が流れ込んできて、大部屋の病室全体が柔らかくて少し間延びした光に包まれていた。15時からの予定だった手術は急遽13時からになり、心の準備がまだ何も整っていなかった私は、不安いっぱいのまま看護師さんに手を引かれ、手術室へと向かった。

はじめて乗る手術台は、手術室全体のひんやりとした印象とは裏腹にとても温かかった。


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