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ゼミの取り組み 課題図書 6冊目

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『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』
著/永栄潔

[本書の概要]

在職中には膨大な記事を書き、優れた書評子でもあった元朝日新聞記者が、客観報道のイロハを叩きこまれた駆け出し時代から、歴史教科書リポートを最後の仕事として定年退職するまでの36年間を回想。取材現場での生々しいやりとり、数多くの著名人の意外な素顔、知られざる記者の胸の裡を、巧まざるユーモアを醸す練達の筆で綴る。記者の本分とは何か、報道とは何か。実践的メディア論としても出色の本書は、大きく躓いた朝日新聞の謎を解くカギのすべてを示している。

[ゼミ生の読書コメント①]
 新聞記者がどのような仕事をしているのか。表では聞けないような話がこの本に詰まっててとても見所が多かった。
 個人的には、朝日新聞の入社式の話が面白かった。

[ゼミ生の読後コメント②]

筆者の36年間の「ブンヤ」生活では、さまざまなことが起こっていた。そのひとつひとつは、世界を変えてしまうような大きな事件である場合もあれば、取るに足らないニュースもあった。
しかし、たとえ小さな出来事であっても、間違った報道があれば常に全責任を負わなければならない可能性があった。また、小さなニュースでも、読者の目を引くためにはギリギリまで攻めた表現の工夫が必要だ。本書ではいくつも話題が挙げられていたが、印象に残った2つの章について述べようと思う。
1つ目は昭和天皇が亡くなったことを報道する時、どのように表現するかについて白熱した議論が起こった場面である。「死ぬ」という意味の熟語だけで「崩御」「死去」「逝去」など複数の単語の案が出た。「崩御」とは、天皇が亡くなることを意味する語である。もしこの言葉をあえて使わないとすれば、朝日が天皇に敬意を払っていないのではないか。そう意思表示をしていると捉えられてもおかしくない。そうは言っても、「崩御」という語を使えば、朝日が全体として天皇制に賛成しているという総意を表していると勘違いされかねない。このエピソードには、新聞や雑誌の言葉ひとつひとつがいかに会社の意思を表し、イメージを作りあげるのかということが象徴されていた。また、たった2文字の表現の違いから昭和天皇の戦争責任や帝国主義への考え方についてまで議論に及ぶのは、常に社会に目を向けている新聞記者ならではだと思った。同時に、彼らが自分たちの仕事がいかに社会に影響を及ぼすのか、自覚しているのだと改めて感じた。
2つ目は、新聞写真の撮り方である。ある記者が小学校の入学式の写真を撮るように言われる。見たままの写真を撮って帰ると、上司からやり直しを命じられた。結局彼女はそこにいた母子にポーズや立ち位置を指示して撮影した。新聞写真では、ニュースの内容にあった演出が必要なのである。逆に考えれば、新聞記者はうまく写真さえ撮ることができれば事実と違った描写の記事を作ることができる。どこまで演出や脚色が許されるのだろうか。読者の立場からすると、大変気になった。

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