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No.524 小黒恵子氏の紹介記事-90 (こころやすらぎ)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、新聞に掲載された小黒恵子童謡記念館の記事 をご紹介します。

こころやすらぎ   「緑」の声が聞こえる  
詩に込め、伝われ未来へ

自宅を童謡記念館に開放して1周年小黒恵子さん(63)

川崎市高津区の、多摩川ほとりの諏訪河原近くに「小黒恵子童謡記念館」が開館して三十日で一周年を迎えた。
明治十二(一九七九)年建築という広大な屋敷の大黒柱や梁(はり)など残して、銅板の緑の屋根のモダンな童謡記念館に建て直したのが、詩人で童謡作家の小黒恵子さんである。
川崎市指定の保存樹となっているけやきの大木が十四本。豊かな緑に包まれた敷地約二千三百平方㍍の同記念館。
「四十代から六十代の大人が懐かしい童謡や唱歌を歌って発散して、晴れやかな顔をしてお帰りになります。秋には子供たちに熊手(くまで)や竹(たけ)箒(ぼうき)を使ってもらって落ち葉たきをしたり、自然に親しんでもらう初めての青空体験教室も開く予定です」と小黒さん。
地主の一人娘としてここで生まれ育ち、愛犬を連れて多摩川の土手を散歩するのが好きだったという。中央大学法学部を出て、東京都渋谷区道玄坂で当時は珍しい深夜営業の喫茶店「セーヌ」を経営していたとき、常連客だった画家、故谷内六郎さんと出会って詩人を志すようになった。
「谷内さんが昭和三十一年(一九五六)年二月から週刊新潮の表紙を描き始めたころで、いつも原画を見せてくださって『今度はこういうのだけど、これどう思う』と意見を求められるわけです。ところが、うまく批評できませんでした。ただ見るだけ。朝九時から夜の午前二時まで店をやっているだけなんて、なんて恥ずかしいことかしらと思いまして、谷内さんが子供の絵をお描きになるから、私はせめて童謡みたいなものを書いてみようと、それで始めたんです。」
そのうち谷内さんが「どこかで詩の手ほどきを受けたほうがいい」とアドバイス。小黒さんは東京・本郷弥生町の詩人、サトウハチローさん(故人)に弟子入りするようになった。
「ハチロー先生の全盛時代で、毎回三十人ぐらいがお座敷に向かい合って並ぶんです。入ったとたん、『お弟子さんは千人もいるかもしれない。びりっかすでここに入っても、一生かかってもどうすることもできない』と思いましてね。手ほどきしていただいた後は自分色でやろうと思いまして、足かけ三年お世話になりました。
ハチロー先生にはめったにお会いすることはなかったのですが、愛犬が死んだことを手紙形式で書いた『もう帰ってこないんだね』のときは、出ていらっしゃいまして『小黒君、すばらしい詩を書いたよ。詩ってこれなんだよ、わかるかい。人の心を打つもんなんだよ』とおっしゃったんです。そのとき、なるほど、そうなのか、ってわかったんです。死だとかそういう言葉はひとつも入っていませんが、私も泣きながら書いた詩だったんです」
小黒さんの詩人の魂は、自宅の庭の自然の緑のなかに宿っているようだ。
庭の青い葉が五、六月になると、オキシダントのせいでぽろぽろ落ちてしまうことに心を痛め、「昆虫も人間も、動物も植物もみんなこの地球に生まれた友だちなんだ」との思いを童謡を通して伝えようとしてきた小黒さん。
生物への愛と平和の心を詩に書くだけでは気がすまず、童謡記念館一年間の入館料(大人五百円、子供二百円)に原稿料などを加えた百万円を世界自然保護基金(WWF)へ寄付した。「絶滅しかけている植物や動物を保護する活動に、寄付という行為で参加したいんです。それしかできませんから」
裏庭に建つ川崎市地名百人一首の歌碑 「けや木たつ 多摩のほとりの諏訪川原 緑の伝言(ことづて)   未来(あす)に伝えて」は、なによりもよく小黒さんの気持ちを表していると、と思った。
小黒恵子童謡記念館(川崎市高津区諏訪111 ☏044・833・9830)は毎週土・日曜開館(午前十一 - 午後五時)

毎日新聞夕刊 平成4年(1992年)7月31日

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1992(平成4)年の紹介記事をご紹介します。(S)

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