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【水島予言#03】1979年8月の甲子園と、1979年8月の水島新司

 「高校野球史上最高の試合」はどれか? 
 そんな問いがあったとしても、出身地や年代、試合映像を見たかどうかによっても評価は大きく変わるだろう。それでも、1979年8月16日に甲子園球場で行われた夏の甲子園、和歌山代表・箕島高校vs石川代表・星稜高校の一戦は、あまりに劇的すぎる試合展開だったこともあって、多くの人から「伝説の試合」「神様が選んだゲーム」として賞賛を集めることが多い。
 引き分け再試合になりがちな「延長18回の死闘」がその最終イニングで決着がついたこと。その18イニングを両チームのエースがともに一人で投げ抜いたこと。延長になってから2度も勝ち越しと同点を繰り返したこと。さらには野手の転倒、隠し球、病をおしての出場……「マンガのような激闘」という表現をする人がいてもおかしくない、まさにドラマに満ちた一戦に。翌日のスポーツニッポンでは、“甲子園の詩人”としても知られる作詞家の阿久悠が「最高試合」という詩を寄せ、この試合をたたえた。

 だが、この試合を報じる翌日の紙面では、さらに衝撃的なニュースが報じられていた。
  「ドカベン今日散る!」……無敗伝説を誇った『ドカベン』の明訓高校の敗退が、「広告」という形ではあるものの、大きく報じられたのだ。

1979年8月17日スポーツ紙

 1979年8月17日発売の「週刊少年チャンピオン」で、大会連覇と春夏連覇の偉業を目指していた常勝・明訓高校と岩手代表・弁慶高校の死闘がついに決着。その結末は、まさかの「明訓敗退」。野球マンガファンからは「水島漫画史上最高の試合」とも称される一戦である。

 後年、水島新司はこの一戦を「(明訓を)負けさせるべきではなかった」と悔やみつつ、こんな言葉を残している。

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70年代のプロ野球、高校野球の出来事で、先に水島野球マンガが描いていた予言的なエピソードを紹介します。

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