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40.0029 私だって、仕事できる!!

こうして、ようやく念願かなって☆社会復帰を果たすことができた私。
やったーー!!うれしかったです~~とっても。
娘が、3歳になる年の1月からお勤めを開始することとなりました。
順調に、市内の保育園にも入園できることに!!
母子家庭は、優先的に入園できることになっていたようです。
そして、経済的支援の意味もあって(要は私は稼げてないから😅)保育料も無料でした。 たすかった~~~。ありがたかった~~~。

 娘を妊娠する前は、公認会計士の受験勉強をしていた私。
受験生時代は短答式試験まで合格していた自信もあって、2次試験が合格したら、バンバン働いて稼げる人になろう!と思っていたけれど、、
実際のその時の私は「働けるならどこでもいいです😭!!」と お給料もプライドも二の次になっていました。

 まずは、こんな私でもちゃんと社会復帰、働けるんだろうか、、という不安を克服したかったのです。
 そうして迎えた初日。 
 案の定、電車に乗るのが怖かったなあ。
でも、でも、せっかく友人が紹介してくれた会社。
そして、何より娘との将来がかかっている(とは、これまた大げさだけど)んだぞ、と自分に言い聞かせ、奮い立たせ、電車に乗って、いざ職場へ🏢

 正直、今思えば、私にあたえられたのは全然厳しい仕事ではありませんでした😁
公的な建物の中にある団体で、確かにお堅い職場。ルールもきっちりと決められていて、皆さん、とにかくおっとりとして優しい人たちが多かったです。
 なぜ、パートタイム職員で、紹介のみの入社なのか。
それは、扶養範囲内でのお勤め、でOKの女性が対象だった(表立っては言わないけれど明らかにそうだったと思う)から。
 給与は、時給で760円でした。
当時はこれでルール的にオッケー!だったのでしょう。 公的な立場にある職場だったので最低賃金等もきちんと守り、法律的には違反していなかったはずです。 そして、もちろん賞与はありません。交通費もいくらまで、という制限がありましたね。 そして、3か月働いたら1か月休みということになっていました。 時間は、10時から15時までです。
 明らかに生活を支える給与、には至りませんでした。
 それでも、社会から逃げるように暮らしたり、ずっと仕事をしていない状況だったり、さらにまだ2歳の子供を抱えたままで社会復帰することに超気弱な私には、このくらいのゆるーい条件からの復帰が、ぴったりだったと思うのです。
 友人が、まるで私の状況を知ってかのように、タイミングよく、仕事内容も、環境条件もぴったりの職場を紹介してくれたことは、私ってツイてるなあと改めて思います。
 仕事内容は、その建物内の会議室や講堂を利用したいと希望する方の予約の電話をとったり、利用予約の入った会議室の前にタイトルが書かれた用紙を掛けに行ったり、当然のようにお茶出しもありました。
 当時、上司だった方の机にパソコンが置いてあったような気がします。
私はまだパソコンももちろん持っていませんし、使うのもまだ全然慣れていない状況でした。なので、電話応対やお茶出しや、お使いに出たり、お偉い様のお話の相手をしてみたり、という内容で十分、エネルギーを消耗していました。
 『私は、もっと仕事できるはずなのよ!』なーんて、全然思いませんでした。 とにかく、自分の居場所がひとつ、できた!!ということがうれしかったです。 紹介してくれた友人に、本当に感謝しています。
 
 私の人生、困ったときには、いつも必ず誰かが道しるべを示してくれました。
この友人もその一人です。 私の大切な恩人です。

 ⏩次回は、私がシゴトを始めたことで、娘の保育園生活が始まり、そこで起こった出来事をつらつらと書いてみたいと思います💛

■今回もお読みいただき、ありがとうございます。
  全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
  お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
 『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
 どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!

▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。

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