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シルクロードの旅 

大学生ばかり50人ぐらいのグループ旅行で、
海外旅行2回目にして、
3週間のシルクロードの旅に参加した。
わたしは幼馴染2人と一緒に参加した。

初海外旅行の台湾3泊4日でもビクビクしていたのに、
3週間、
しかも船と電車の旅、
知らない人が50人。
私の頼みの綱は、幼馴染の2人。


神戸港
船上で見た景色

神戸の港から出発した。
船で上海へ。まるまる2日、密室のような船という場所で、上海までの最初の2日で私は色々なことを感じて、人との距離感や交流の仕方を学びはじめた。

何をするにも友人2人の存在を横目に見ながら、
知らない人と徐々に交流を始めた。
参加の大学生は7〜8人を1グループに分けられた。
まずは同じグループのメンバーと仲良くなり始めた。
豪華客船でもない小さな船のおかげで、食堂や、ホテルでいうロビーのような場所は、自然と交流の場所になっていた。

何時間経っても、
わたしは金魚のアレのように、
友人の後ろをついて回っていた。
自分からは新しい交流を図らずに。

直接言われる事はなかったけれど、
自分で好きなように動いてよ、
ついて来んといてよと言わんばかりの友人の雰囲気を悟ったのは上海にあと数時間で到着、という船の後半だった。


船から見た上海(外灘)


さてこれから3週間も中国で過ごす。
未知の国で、頼れる2人は、
スタートの時点で、もうおんぶに抱っこではなくなった。
自分で旅をしていく覚悟、ほどたいそうなものではないけれど、
自分の意思で決めて、自分で楽しまなければ。
他力本願では楽しくならないことを少し感じながらスタートした。


高層ビルの裏に広がる風景
青空の下での麻雀

2002年当時の上海は、すでに発展が始まっていた。
ビル群を背景に、
路地をのぞけば、アパートの窓からはみ出した洗濯物が堂々と風に揺れている風景。
道端で麻雀卓を囲む人達。
ローカルの人たちが暮らすところに建っているホテルに泊まったので、発展をながめながら日常を見ることができた。

上海から最終目的地のウルムチまではほぼ電車移動の旅。
長時間電車で過ごすための食品をスーパーで買い込んだりしながら、中国を少しずつ自分に取り込み始めた。
5日ぐらいすると馬の合う友達ができ、
最初の金魚のアレのようなわたしはだんだんと薄れていたように思う。


西安
西安


兵馬俑

上海〜西安〜敦煌〜トルファン〜ウルムチ〜上海。
要所要所で世界遺産や有名な各所を回りながら、
日本より歴史の長い中国を改めて感じた。


電車で出会った少年
向かいの席になった少女



電車は、乗るたびにほぼ日をまたぐ長距離移動で、
寝台列車は左右6台のベッドが設置されている起き上がれないほどの高さのスペースで狭かったけれど、
楽しい思い出しかない。
たまたまお向かいになったご家族とお菓子の交換をしたり、
車内販売のお弁当を買ったり、
お弁当に飽きて、電車に備え付けの特大ポットでお湯を確保してラーメンを食べたりコーヒーを飲んだり。
船同様、電車という限られた空間ではおしゃべりをする時間が一番長くて、
友達との仲をすごく深めることができた。
当時、スマホがなくて本当に良かったと思う。
時間が有り余り、ずっとおしゃべりしていた。

全国から学生が集まっていたので、
初めて関東や九州の遠い場所に住む友人ができた。
シルクロードに興味があって参加しているだけに、興味の矛先は似ている人が多かった。
ゆえに、話題も共有できるものが多く、帰国してからも20年経った今でも友人関係が続いていたりする。

旅の前半が終わるころには、
わたしは幼馴染とは行動を別に、
新しくできた友人と自由時間を過ごすようになっていた。

自分の意思で行動し、
それによってできた体験や感じ取った思いは、
主体的になったからこその産物。
何年経っても色あせないものを得ることができた。


吐魯蕃(トルファン)の子どもたち
モスク
トルファンのマーケット


大都会 烏魯木斉(ウムルチ)
ウルムチにいた男の子



折り返し地点のウルムチと、1つ手前で滞在したトルファンは、
中国とは感じられないほどの、別の国と思わせるほどの所だった。
新疆ウイグル自治区を歩いたおかげで、
ニュースで聞こえてきた時、
とてもリアルに感じられた。

海外のニュースがリアルに自分に入ってくる感覚になれたのはこの旅をしてから。
それは私の人生にとっては大収穫になった。

この旅を終えたあと見る『世界の車窓から』も、
すごくリアルに感じられるようになった。
これも人生が豊かに感じられるうれしい感覚。

色んな場所で暮らしている色んな大学に通う人たちと、
同じ風景を見て、同じ体験をして、ひたすらしゃべって、
21歳のわたしは、この旅でとても視野が広がり未来にワクワクしたのを覚えている。

次はあの国へ行こうとワクワクしたり、
この旅で出会った友達に会いに、帰国したら東京や名古屋へ行く約束をしたり。

帰国後まだひと月続く夏休みの予定が、
しっかりと埋まったのを覚えている。

台湾への旅では終始気持ちが張り詰めていた自分が信じられないぐらい、
帰国した頃には、
次は海外旅行はひとりで行こう!とまで思えるようになっていた。

一眼レフカメラを持っている人たちが何人もいて、
格好が良くて、
カメラの良さをたくさん教えてもらって、
現像された写真が本当に素敵で、
帰国後すぐに一眼レフカメラを買った。
これを持ってすぐにどこかへ行きたかった。
もう気持ちは外へ外へと変わっていた。


月が綺麗に見えた砂漠(鳴沙山・メイサザン)
街に滞在する時は、屋台でご飯を食べたりお酒を飲んだりした


これが人生2度目の海外の旅。
楽しさも苦さも味わい、とにかくインパクトが大きかった。


旅の序盤でタクシーで舗装されてもいない瓦礫のある場所に連れて行かれかけたこととか、

幼馴染と気まずい雰囲気になったこととか、

物乞いの人や、
働く幼い少年少女への対応に悩んだこととか、

観光地や道端で見かける山積みのペットボトルが意味することとか、

シルクロードを西へ進んでいくと人も食べ物も街並みもガラッと変わっていく様子を目の当たりにしたこととか、

砂漠で月を見ながら、
月が美しすぎて、こんな綺麗な景色をみさせてもらってありがとうと親に感謝してみんなで涙を流したこととか、


その後の自分を形成するうえで、
とても重要な経験をした3週間だったと感じる。

それまでは、自分に自信のないネガティブな人の典型みたいな性格だったけれど、
怖くて不安でもまず実際にやってみるという自分に変わったきっかけの旅行だった。

元々持っていたかもしれない、物怖じしない性格が目を覚ましたようだった。

四年生になって就職活動の間は旅行をひかえたので、
次に旅をしたのはシルクロードの1年後。

中国で抱いた想いや、
外へ向き出した勢いは、
1年経っても熱々のままだった。
躊躇なく旅先は未知の国ミャンマーを選んだ。
現地集合も、不安はあるけど楽しもうと思えた。
だんだん思考はポジティブに変わっていた。

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