I 孫の顔がみたい

僕は朽ちていくんだろうな。

人間も動物も植物も、
みんな利己的だ。エゴだ。

自然はエゴで成り立っている。
自己中心的な働き同士が関わり合っている状態だ。

どの生物も自分のことばかりを考えている。
エゴだ。

「孫の顔がみたい。」
子のことを何も知らないで、そんなことを言う親がいる。
エゴだ。

ただ、これは生き物であるからには
正常な働きだと考えざるをえない。

子孫を残したがっているのだ。
しょうがない、本能だ。

人間界では、当たり前のようにエゴが存在している。
正直、僕はそれに耐えられない。

自然界でいうところの、
木が、全く風土の適していない場所に植林されたような感じ。
熊が、食べるもののない森に迷い込んだような感じ。

僕がなぜ、「孫の顔がみたい。」というエゴに耐えられないかというと、
幼少期に親関係のトラウマがあることや、
HSPでありアトピー持ちであることなどから、
その手のストレスに対して敏感で弱く、
ストレスを感じてしまうことで、
心と体が全くの使い物にならなくなってしまうからだ。
その負の循環に耐えられない。

そんな僕にとって、
「孫の顔がみたい。」という言葉は、
究極に嫌な言葉なのだ。

自己中心的な働き同士が関わり合っている人間界において、
この程度のエゴに耐えられないようでは、
全く風土の合わない場所に植えられた木のように、
朽ちていくしかないのだ。

まさに僕の場合、ストレスによって湿疹が悪化したりすることが
朽ちていく過程と言えるだろう。

朽ちていかない方法を考えたい。
木の場合は、きちんと合った場所に植えてもらう必要があるんだろうな。
熊だったら、食べ物のある森を探すんだろうな。

じゃあ、人間界にいる僕は、
どうしたらいいんだろうか。

こんなふうに、僕は自分でなんとかしようと思えている。
ただ、いくつかの人は、
どうしようもないのに、
どうかしたいのに、
言われたくないのに、
あなたのエゴと向き合っているかもしれない。
そして、とてつもないストレスを抱えているかもしれない。
今にも、朽ちかけているかもしれない。

何が正解かは自分で判断して欲しいが、
少なくとも、思いやりを忘れてはいけない。
人間は、他人の利益を考えられるのだから。

エゴを持ち、エゴを捨てられる。
複雑な問題だ。

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