なぜ、恵まれなかった過去、それにまつわる感情は時を経るだけでは清算されないのか?感情に振り回されないようにしたら、感情的になる不思議。◆忙しさとセルフネグレクト【大預言アーカイブス】
対談:「ぷろおご×伊予柑の大預言」をアーカイブします..
ぷろおご×伊予柑の大預言
こちらは2023年2月某日に収録された対談を加筆編集したものです。
なんだか最近楽しくないあなたは、めまぐるしい日々を理由に感情をなおざりにしているのではないだろうか
伊予柑:はい、木曜の読書会。今回、noteから反応が多かった記事にふれてみようということで、忙しさから抜け出すにはネグレクトしていた感情たちと向かい合わなくてはならないというやつです
ぷろおご:忙しいってなんだろうねって話をツイッターに書いた
伊予柑:資本家の人が奢りにくるんですね
ぷろおご:いろいろと足りてる人、客観的なものが足りてる人は「なんか最近、たのしくないんだよね」って話をよくするじゃん。おもしろい話だなあとおもって書いた
伊予柑:忙しさはいま浸りうる感情を、いま消費する余裕がない状態なんですね
ぷろおご:そういう説がありますね。
具体的にいうと、おれはアダルトチルドレンがだいすきじゃないですか。なんですきなのかなとおもったら、彼らは忙しいんですよ。忙しいというか、せかせかしてますね。「なんかしなきゃ」とか常に忙しいんですよ。どんだけ時間があってどんなに美味しいワインがあっても、予定はなにもなくてもなんだかそわそわしてるんですよ。こういうふうに暮らさなきゃとかでね
伊予柑:口座に10億円あっても
ぷろおご:なんかそわそわする
伊予柑:あれはなんなんですかね
ぷろおご:それはやっぱり感情ってみんなあるじゃないですか。みんな感情っていうのがあるんですけど、
伊予柑:あるらしいですね
感情が停滞すると時間もまた停滞する。忙しさは、時間の停滞を解消してくれるか?
ぷろおご:ここでの感情は、心とかじゃなくてなにかリアクションですね。なにかされたことやしたこと、起きたことに対して、たとえば嬉しいなあってときに、ちゃんと表現する。
演劇というか、「やったー!」って言うとか。もっと強いのは怒りとか、嫌なことがあったときに怒る。「なんでそんなことするの?」って言うとか、オレはこういうことされて嫌だと伝えるとかもそうだし。
自分のなかでなにかしらの感情的な動きが自覚できるようなできごとが起きたとき、その感情的な動きを表現できれば、リアクションをちゃんとできれば、そのできごとはひとつ物語として完了するんですよ。
だけど、一般的に忙しいとそんなことしてる場合じゃない。一旦保留しとこっておもうじゃないですか。でも、保留されたそれが解消されることってほぼないじゃないですか。そうするとなんか残るんですよ。
そうすると結局、意味のわからない自分の持ってるムカムカがどこでどう発生したかわからない。だからちゃんと処理できない。それでも、処理した気になりたいから、あらぬ方向に攻撃性を発揮してしまう。
それは祭りに参加するときに、エネルギーを割くようなもので、気に食わないやつを叩くとかもそう。そういう手段しか持てなくなると、その人は忙しくなっちゃうよねっていう話で。
逆に忙しさをあんまり感じさせない人って、スケジュールはいっぱいでもなんか暇そうな人いるじゃないですか。伊予柑さんとかもそうなんだけど、客観的に見ると忙しい人ですよね。だけど、べつに言われない
普段人と接してて「忙しそうですね」って言われる時はスケジュールがいっぱいありますよねっていう意味で、パーソナルな部分について言われてるわけではないですよね。これってなんか不思議だよねっていうことで
腐らせずに感情を味わうためには、今日のリソースを投入しなければならない?
伊予柑:そうですね。それこそあなたが今日奢り5本入ってて、すし5回食うらしいとか聞くと、客観的には忙しそうだなとは思うけど
ぷろおご:でも、べつに振る舞いは変わらないじゃないですか
伊予柑:うん
ぷろおご:変わってないんですよ。肉体的に元気なら問題はないからやるし、逆にねむいときは控えめにする。それは身体的なものであって
伊予柑:HPは消費して疲れるけど、MPは使ってないですね
ぷろおご:今日存分にあるリソースうち、あるところをちゃんと使ってるだけで、寝たら回復する。それをギリギリ使い切らない程度まで消費するっていうのが自分のなかでは心地よくて、たくさんエネルギーがあるんだし使おうよという話でもある。
で、これは客観的にみたときに振る舞いとして忙しいとは言われないわけですよ
伊予柑:ちょっと反論になっちゃうんですけど、忙しい方ってせかせかと怒ってるじゃないですか。あれは感情をちゃんとだしてるに入らないの?
ぷろおご:あれはその場のものではない可能性が高いですね。なんだかイライラするときに、目の前にイライラしてもいいと一般的に言われているものがあると、怒ってみようかなっておもうんですよ、人間って
伊予柑:なんか蹴っ飛ばしたり
ぷろおご:ラーメン屋でちょっとオーダーミスがあったからってそんなに店員にイライラしないじゃないですか。それは怒ってるおじさんもそうなんですよ。だけどどうにもムカムカするから目の前で怒ってもいいイベントが起きたときにとりあえず怒ってみようかなと
伊予柑:ツイッタラーにもいますね
ぷろおご:やっぱりそれは根本にあるムカムカに対しては処方箋にならない
伊予柑:根本のムカムカに対して怒った場合はオッケーだけど、それを保存しといて、ほかのどうでもいいムカムカに起こった場合だめ、と
感情って老廃物?代謝されないと腐ってキャパシティを侵蝕する
ぷろおご:保存するとなにかわからなくなるんですよ。なんか冷蔵庫くさいみたいな。記憶とおなじで、冷蔵庫にはいろんなものがいっぱい入ってるじゃないですか。でも、容易に触れない。だからなんかくさいけど、なにがくさいのかはわからない。
ぷろおご:保存された感情を思い出すためにはすごく時間がかかるんですよ。映画を見たときに、そういえばオレも昔こういうふうに言われたのがすごく嫌だったんだな…とか
アダルトチルドレンはお母さんにああいうふうに言われたのは嫌だったな。あのときにああしてもらえなかったのが嫌だったなって気づくことができれば、意外と直接会ったときに昔こんなことあってさ〜 って言えたりする。
そのときに怒る必要なくて、ちゃんとそれを思い出して片づけてあげる。それをすることで意外とすっきりしたりする。みんな経験があるとおもうんです。
あのときオレはこうしたかったんだな。ちゃんと怒りたかったんだ。悲しみに暮れたかったんだなっていうのをちゃんと思い出して、よしよしって過去の自分にしてあげられれば、わりと大人になれるわけですよ。
そうすると、普段から余裕ができて暇になれる。なにかを考えたり感じる余裕ができるわけですよね。なにかを感じたりする容量が腐った感情にとられちゃうと、なんかわからんから怒ろうとかになるよね。そうすると忙しそうに見えるし、怒りやすい人になる
伊予柑:じゃあ、忙しいというのは仕事の量とは関係がない?
ぷろおご:ないとおもいます。
もちろん、本人が持ってるキャパシティを超えると忙しくなっちゃう。仕事をしすぎるとかね。人間はそれぞれキャパシティはちがうので、それを超えないレベルであればとくに問題ない。だけど、客観的にはずっと暇なのに忙しそうな人っているじゃないですか
伊予柑:いる
ぷろおご:忙しい人たちは、仕事量とか毎日なにをしてるかとかじゃなくて、そもそもどっかしらで浸れなかったものがあって、それにとらわれていて忙しいっていう状態にあるんですよ。
そのときに浸るべきだったのに、それを放置してしまったがゆえにずっと、「こういうの見るとムカムカするんですよね」「ちいかわ見ると、なんかイライラしちゃうんですよね」ってなってる
人を観察しながら、その人の感情を鑑賞することはできるか?
伊予柑:読者のなかには上司が忙しくてぷりぷりしてて困ってるっていう人もそこそこいると思うんですよ。上司じゃなくても会社のなかに、ひとりかふたりぐらいはいるわけで
ぷろおご:集団にはいますよね
伊予柑:どうしようもなくない?
ぷろおご:そこは動物とおなじで。この動物はこういうものがあるからこうなっちゃうんだなっていうのを理解することで、少なくとも自分の余裕にはつながる
伊予柑:じゃあ、仕事が〜というよりは、あの人は感情に浸る時間がなくて、ネグレクトしちゃったからぷりぷりしてるんだなって思えばいい、と
ぷろおご:みんなができてないことのなかで、おれが得意なのって人を鑑賞することなんですよ
伊予柑:人の苦悩とかをたのしんでらっしゃる
ぷろおご:たのしい。それこそ映画ってだいたい悲しいイベント起きるじゃないですか。なかったらおもしろくないから、感情的な表現が欠かせないじゃん。宇宙人がでてきたりとかね。
人もそうで、鑑賞しがいのある人間はよりドラマティックなんですよ。この人は文学的だなあ…とかんじるわけですよ。
余裕がない人や忙しそうな人を表面的に見ても、なにがこの人の忙しさの根っこにあるんだろうっていうのはわからない。だけど、いろいろ言葉のやり取りをしながら、どんな話題にどう反応するかを見ていくと、もしかしてこの人はこういう物語をお持ちなのではないだろうかって想像ができるじゃないですか。それはすごいたのしいことなんですよね
伊予柑:それはあなたがクソアスペだからできることですよ。ASD;アスペルガー症候群の方の特徴は、相手との身体関係の同期・同調能力が著しく低いことなんです
ぷろおご:みんな引っ張られちゃうってことでしょ
伊予柑:そう。相手が怒ってると自分も怒る、相手が悲しいと自分も悲しいというのが基本機能としてあるんですが、あなたはそれがクソなので、「なんか怒ってるね〜」って言って、より怒られたりするんですけど
ぷろおご:一緒にいないときに観察してもいいですよね
伊予柑:上司が怒ってたら普通はこわいの
ぷろおご:そのときはこわいなぁとおもうかもしれない。だけど、家に帰ったら安全じゃないですか
こんなふうに、こわい人のいない安全なところで考えたほうがいいかもしれないですね。おれはそばでやってるんですけど、
伊予柑:あなたは痛覚がないに等しいのよ
ぷろおご:ちゃんと予習復習を行っていれば、授業で「これ、やったやつだ!」ってなるじゃん。おれじゃなくてもそれはあるとおもうよ
伊予柑:怒ってる人ってまじで炎がでてるに近しいので、動物はやべって逃げるのよ。熱いし。だいぶ距離をとらないと観察には。。。
しまいこまれた感情は現在にも影を落として、清算されるまで容赦がない
ぷろおご:ずっとイライラしてるとか、なんかムカムカするとか、よくわからないものがある人ってだいたいどこかで腐らしてるんですよ。なにかを冷蔵庫にぶちこだまま放置して、奥のほうにうわあ!ってなるやつがあったりするんですよね。それでにおいが蔓延してる。
放置された臭いの元凶をちゃんと処理してあげると意外とクリーンになるっていうのをツイートして、この話はアダルトチルドレンには通じるものかなとおもってnoteを書いたんですよね
アダルトチルドレンっていうネームを言葉にしてみると、子どものころにちゃんと子どもになれなかった人なんですよね
伊予柑:よく言われますね。親が機能不全とかで、しっかりしなきゃいけなくなっちゃうみたいな
ぷろおご:やりきれなかったから、今もやりたくなっちゃう。これは儀式の話だとおもうんですよ。
たとえば、30歳を超えると、そこからすごく早いっていうじゃないですか。あるいは今はもっと早い年齢かもしれないけど、
なんで時間が早く過ぎるようにかんじるかっていうと儀式が失われたからだとおもうんですよね。卒業式とか入学式とか、就活とか、22歳までは年相応の儀式が用意されてるじゃないですか。儀式が自由になって、なくなってる。30歳までにだいたい結婚するとかもなくなってる。
そうして振り返ったときに最後の儀式、22歳なんだけどってなると、わかんなくなっちゃう。そうすると、自分が今45歳ということもあいまいになる。
距離的にいえば45歳の人が自分のこと学生だとおもうのと22歳の子がまだ自分を10歳だとおもうのってそんなに距離としては離れてないわけで、ちゃんと年齢相応の自分をやりきれないとずっとそのままになっちゃう。
15歳の自分をやりきれなかった場合、15歳のままになっちゃう。そこでどうやって自分で理解するか。自分はこの体験ができなかったとおもってるんだっていうのを突き止めると、過去には戻れないですけど意外とすっきりするんですよ。
突き止めるということが重要で、この気持ちはあのときにあれができなかったときの気持ちが残ってるってことなんだっていうのがわかると、過去の自分と現在の自分がつながって、納得できたりする
伊予柑:不思議ですよね
ぷろおご:「あー、なるほどね。」とおもったら意外と安心するっていうのは処方箋かなとおもいますね
他者の視線がもたらすものとは?わたしにとって、わたしが他者になるときはどんなときか?
伊予柑:僕最近カウンセリングまがいのことをやっていて、それが演劇の話にも通じるんですけど、
YouTuberと話してると、ある人格になっちゃうんですね。キムタクとして24時間期待されるから。そうすると、本人に自覚がないままずっとキムタクやっちゃうんですよ。
それに対して、「今あなたがやってるのってキムタクであって、中の人じゃないですよ」っていうふうに説明をしていくと呪いが解けてくるんですよ。
そいつは24時間キムタクをやってたんだけど、キムタクじゃない人格が俺と会うたびに10%ずつ増えていく。これはおもしろいなと思って。
俺は「あなた。だって24時間キムタクじゃないでしょう。普通に考えて、」みたいなことを言ってるだけなんですよ。
なんで??
ぷろおご:ちゃんと見つめるっていう作業がすごく重要なんですよ
伊予柑:「あなたはそのとき辛かったですよね」ってあなたが言って、アダルトチルドレンの方が「あ、あれがそうだったのかも」って言うのとたぶん、あんまり変わんない話で、その人の認知をちょっといじっただけなんですよね
ぷろおご:見つめるのはかなり重要なことですね
見つめてどうにもならない、まだやだ!とかまだむかつくとかそれは大人になれてない、能力が上がってないだけなんですよね。
昔好きだったマンガは、大人になってから読むとまたべつの味がするじゃないですか。味がしなかったら、それはあなたがべつのベクトルで変わらなかったんだねって話になるので、それはどうにもならないかもしれないけど。
物語を解釈する幅を拡げたり、ちがう視点を獲得したうえで突き止めると、今考えたらそうだよな、しょうがなかったよなっていうふうになるわけですよね。
親も結局神様でなかったことがわかるじゃないですか。子どもは親を神様だとおもうわけですよ。だけど、大人になればたいていわかるわけじゃないですか。
それらをふまえたうえで、当時の親って何歳だっけ22歳か。まあしょうがないよ22歳の女が3歳児と、それは大変だよなとかさ。そういう解釈はあるじゃないですか。今だからできる解釈とかも発生するし、それによってちょっと視点が変わって、そっか、しょうがないよな。っておもえる
伊予柑:コーチングの手法でエンプティチェアと呼ばれている手法があって、会社のなかの人間関係、たとえば上司が超むかついたみたいな時に、
コーチが「じゃあ中島さん、こっちの椅子に座ってそこに上司がいるとして、めっちゃ文句言ってください」って文句を言わせるんですね。
こういう方法があるんですね。
これをやると上司へのムカつきがほぼなくなるんですよ。両方の立場がわかる、かつ自分もちゃんと言ったから。届いてないけど届いた気持ちになったから。これはいいなと思った。その場に上司がいないから傷つかないし
ぷろおご:いろんなタイミングで発生するイベントですね
伊予柑:つまり、その人の物語を整えたんですよね
あなたの言った22歳のお母さんの立場に立ってみたという、立場を変えたとおなじで、視界がひとつに狭まると苦しいですよね
ぷろおご:そういう意味でも、ちがう視点を持ったうえで昔の自分にとって印象的だったできごとを回想するっていうのは重要ですよね
あなたの物語で叶えられるもっとも美しい情景とは?ぷろおごはある呪われた物語を終わらせる宿命を贈られていた…?
伊予柑:あとむかつく上司とか怖い上司に向けてちょっとやってみてほしいのが、そいつの中学とか小学校ぐらいの話を聞いて、その少年上司を認めるっという。「子どもの頃、どんな遊びをしてました?」って
ぷろおご:ヱヴァンゲリヲンのはなし?
伊予柑:まさにそう
ぷろおご:「父さんもツラかったんだね」
伊予柑:なんか知らんけどうまくいきやすいのよね。子どものころはみんな普通にいい人だから。認めるのになんもクソもないわけ
?「中島さんは"人間だったもの"を見るために線路に走ってたんですね。そういう人生もありますね」
ぷろおご:ありがとうございます・・
伊予柑:これはわりと効くし、誰でもオッケー
ぷろおご:進撃の巨人だ。美しい話になるんですよね。
伊予柑:もはやあの物語を終わらせられるのはあなたしかいない
ぷろおご:おれはそのために修行してるんだ
伊予柑:そう
ぷろおご:そのためにうまれてきたんだね
伊予柑:シンジくんをだきしめようよ
ぷろおご:おれはずっと望んでいるけど・・
あと何周したらいいんだろう
伊予柑:カオルくんでは救えなかったんだよな
マリじゃないと救えなかった
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