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迷ったとき、悩んだとき

今年4月1日、バンクーバーに移住してから18年になる。あと何年もすると日本に住んでいた期間よりも長くなるのだから、最近あちこちに加歳を感じるのも納得だ。

2003年、就職して1年目だった。今考えれば、1年も経たずに退職届を出すことになるのだから会社にしてみればとんだ迷惑な奴だ。

あの時私は迷っていた。

21歳の時に出会った今の夫がカナダに帰ることが決まっていたのだ。一緒に行かないかと誘ってくれ、2人の間ではどんどん話しが進んでいたのだが、両親にも会社にもなかなか話せないでいた。

そうこうしているうちに彼はカナダに戻り、住む場所などを整えてくれていたのだが、正直この話しぶっちぎろうかと何度も考えた。

悩んだとき、迷ったときの決定の仕方は人それぞれあるだろう。何を思ったのか当時の私は、職場近くにある小さな商店のおじさんが副業でやっているという水晶占いを選んだ。

今思えばかなり笑えるが、当時の私は藁にも縋る思いだったのだ。

何を売っているのか分からないゴチャゴチャのお店で、必死に思いの丈を話したのを覚えている。おじさんから出言葉はたった一言「あなたもう行くって言っているよ」。「はい水晶を選んで。お礼は寄付額で」と、ゴロゴロと並ぶ水晶の中から適当に一つ選び、お財布に入ってるだけの千円札を渡してあっという間に終了した。

長いことあれこれ悩んでいたが、実は心の中では決まっていたのだ。おじさんいらなくね?

おじさんが一押しとなり、退職届を出し、飛行機を予約し、最後に両親に話す勢いをもらえたのは確かだ。

人は悩んでいるとき、迷っているとき、往々にしてもう既に自分の中で答えを持っている。そこにしか答えはないから。

あの時の決断が良かったのか悪かったのかそれは私にも誰にも分からない。むしろ決断には良いも悪いもないのだと今なら分かる。結局どちらでも良いのだ。

中学校の卒業文集に書いた将来の夢「カナダ人になる」を見つけたのはつい最近のことだ。(厳密にいえばカナダ人ではないのだけれど)

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